​  幻想蒐集館 栞

陰の家

 

 訪れた古い屋敷で、あなたは婦人から彼女の身の上話を聞くことになる。元華族だという彼女の半生は、苦悩と奇妙さに彩られたものだった。

 まぁまぁいらっしゃい。遠いところよくおいでなさいました。
 外は寒かったでしょう。そこには暖炉もあります。もうすぐ使用人たちが貴方ために着替えも持ってくるでしょう。我が家で寛いでくださいね。
 あれ、何をそんなに驚いてらっしゃるの? あぁ、こんな皺くちゃなおばあちゃんが目の前にいては、驚くわよね。
 え、とても老婆には見えない? それは嬉しいことを言ってくれますね。これでも私は先の先の戦争をを生き抜いた老害なのですよ。
 そうだ。今日はどうして私がこんなところにいるのかあなたにお聞かせしましょう。きっといい暇つぶしになりますわ。



 戦後すぐのお話をしましょうか。それまで私は華族の出ということもあり、ノリタケのティーカップよりも重いものを持ったことがありませんでした。いつもばあやや、多くの小間使いたちにかしずかれ、絹の長靴下だって彼女たちに履かせていたのです。あぁ、彼女たちの手を思い出すと今でもゾッとしますわ。
 だって、黒く日に焼けて赤切れだらけで、それはもう醜いものでしたから。
 あぁ、戦後は本当に悪夢のような日々でした。
 父が建てた屋敷は米軍どもに接収され、私たち家族は地下にある小間使いたちの寝床に押し込められたのです。さらに貴族制と財閥が解体され、代々我が家に伝わっていた土地は小作農たちに分け与えられました。
 あぁ、あぁ。今でも鮮明に思い出すことができます。喜ぶ小作農たちの前で必死になって悔しさに耐えていた父の姿を。米兵どもからの罵詈雑言を笑顔で受け止め、夜中に寝床で泣いていて母様の姿を。
 戦後、父は事業を起こしました。華族たるもの平民に雇われることがあってはいけない。それが父の口癖だったのです。そうです。父は正しかったのです。父は闇市で飢えている平民どもに食料を与えることにしました。値段が高い? 足元を見ている? そんな声も客である彼らからはありましたが、何の問題がありましょうか? 私たちは飢えている彼らを助けるために当然のことをしていたのです。その売っている食料を盗んだものだと言われようと、それはもともと私たちの土地で採れたものなのです。誰に文句を言われる筋合いがありましょうか? 
 それなのに米兵どもは父を連れて行って裁いたのです。父は二度と私と母のもとに戻ってきませんでした。
 住んでいたお屋敷からも追い出され、小作農たちからはコソ泥呼ばわりされ、私たちは闇市の一角に居を構えるしかありませんでした。
 それでも、生前父が雇っていた使用人が私どもの生活を手助けしてくれました。屈辱的ではありましたが、寝る場所があるだけ私たちは幸福でした。
 問題はどうやって日々の飢えをしのぐかです。幸運にも、バラックを貸してくれた元使用人が私たちに食料を与えてくれたのです。それから私たちは彼の商いを手伝いました。   
 そのわずかな給金を貯めることで、暗かった将来に微かですが光が差しました。
 そんな折、私たちの店が米兵の暴漢に襲われたのです。
 母の目の前で私は犯されました。泣き叫ぶ私を母は必死になって救おうとしましたが、逆に母は鬼畜米兵に……。
 あぁ、お話しできません。お話しできません。
 ですが、これが私の人生なのです。私が酌婦にまで身を落とすきっかけとなった出来事なのです。
 それからはもう、すべてが嫌になってしまいました。
 周りの者は私にとても優しくしてくれました。
 大丈夫。大丈夫。
 あなたは穢れてなんかいやしない。あなたは事故にあっただけ。
 そう、私は事故にあっただけです。その事故で母を亡くし、貞操を汚されました。
 そして、人々の優しさは真綿のように私の首を絞めていくのです。
 その優しさに、私は窒息しそうになっていました。だって私は知っているのです。私に笑顔を向ける刹那、彼らが嘲笑をほのかに口の端に浮かべていることを。
 私は自ら進んで、己を汚す道を選んだのでした。
 私は人形でした。
 男たちに機械的に抱かれる、人形になりました。
 何度男たちの精が私の中に放たれようと、それによって孕もうと、私は何も感じることがなかったのです。
 女の喜びである子を孕むという行為すら、私にとっては何の意味もない出来事となっていました。
 私の腹は日々大きくなります。周囲は私の中にいるソレを膣から掻き出そうとしました。でも、誰もが望まないソレを、欲しがる者がいたのです。
 彼は軍医をしていた米兵の退役軍人でした。そして、私の母を看取ってくれた恩人でもあります。
 彼は拙い日本語で私を説得しました。
 あなたの中にある命を粗末にしてはいけない。主はそれを望まれないだろう。
 あなたに育てる力がないのなら、その力が備わるまで私が子供の面倒をみようと。
 彼が何を言っているのか、私には理解できませんでした。
 だって、腹の中にいるそれが尊いものだと感じることができなかったからです。それがイエスさまの祝福を受けた尊い命だと、私は理解することが出来なかったのです。
 私はそれを産みました。
 おぞましい泣き声をあげるそれを私は抱くことができませんでした。血に塗れ、皺くちゃな醜い老婆の顔をしたソレを見て、私は悲鳴をあげたのです。
 化け物! 化け物!
 私は生まれたばかりの我が子をそう言って罵りました。
 それは、すぐに私から引き離されました。
 それは、その日のうちに退役軍医の養子にだされました。
 数日もいないうちに私は床から起き上がり、何事もなかったかのように客をとりました。私の乳首から溢れる母乳を面白がって、普段は私を抱かない男たちまで赤線のカフェに来る様子は見ものでしたよ。
 男に母乳を吸われるたび、私はじぃんと胸の奥から湧き上がる得体のしれない恍惚感に包まれるのです。目の前の男がとてつもなく愛おしくなって、いつまでも抱かれていたいと思ってしまうのです。
 そして男が帰ったあと言いようのない寂しさを覚え、張った乳を自ら慰めのために自ら吸うのです。
 私の耳には我が子の泣き声が絶えず響いておりました。その泣き声に耳を貸すたび、私は惨めな気持ちになって涙を流すのです。
 あぁ、会いたい。
 我が子に、会いたい。
 思えば、私の唯一の肉親はあの子だけなのです。おぞましいと罵詈雑言を叩きつけた、老婆のように醜い我が子だけだったのです。
 毎晩、私の頬を涙が伝いました。
 そんなある日、我が子を引き取ってくれた米人が私のもとを訪れたのです。
 彼は言いました。
 あなたの子は、あなたに似てとても聡明だと。
 しきりに母であるあなたを欲していると。
 彼の言葉を聞いて、私の乳首はじんと熱くなりました。私の上着が母乳で濡れてしまい、着替えをしなければいけないほどでした。
 彼の言葉を聞いて、脳裏に乳をのむ我が子の姿が浮かび上がったのです。私はいてもたってもいられなくなって、彼に叫んでいました。
 あの子に会わせてくださいっ!!
 その身勝手な申し出を彼は快諾してくれました。そのときの私の喜びようは、到底言葉に表せるものではありません。
 私は喜び勇んで彼とともに、彼の家へと赴いたのでした。




 驚いたことに彼の家は私の生家でした。
 かつて住んでいた屋敷は荒れ果てておりました。
 見事な池と枯山水が美しかった庭は草に覆われ、よく父とお茶をしたサンルームには砕けた硝子が散らばっています。
 埃のたまった床の上で、硝子は雫のような輝きを放っておりました。まるで、悲しい私の気持ちが形になったような光景でした。
 さて、彼に屋敷を案内されて妙なことがありました。普通、来客者というものは客間に案内するものです。なのに彼は私を硝子の割れたサンルームに案内し、屋敷の中には入れませんでした。
 暗くなったら案内すると、彼は美味しい夕餉の支度もしてくれました。不満があるとすれば、サンルームに日が落ちるまでいなくてはならなかったことでしょうか。
 あたりがすっかり暗くなったころ、彼は私を客間へと通してくれたのです。燭台一つ灯すことなく、彼は廊下を歩いていました。彼のあとを追う私は、奇妙な感覚に包まれたものです。
 足元がね、ぶよぶよするんです。
 なにか柔らかくて弾力のあるものが、床一面を覆っているようでした。
 疑問に思ってふっと床下を見ても、闇に濃く染まった赤い絨毯が敷きつめられているだけです。足下の感触がおかしいだけで、それはいたって普通の絨毯でした。
 あと、変な音が聞こえました。

 ばぁばぁ。
 ばぁばぁ。

 まるで赤ん坊の喃語のような、そんな声が絨毯の下からするんです。私がおかしいと思ってぴたりと立ち止まりますと、前を歩いていた彼がこちらへと振り向きました。
 ――どうしたの?
 彼は私に問いかけます。
 彼の笑顔に私は何も答えることが出来ませんでした。親切な彼を困らせたくなかったのです。
 何でもありません。
 そう言って私は彼に微笑みを返しました。



 私が通されたのは、すっかり闇に沈んでしまった客間でした。ここに私の子もいるというのです。じっと目を凝らしてみても闇の中に人影を窺うことはできません。

 ばぁばぁ。
 ばぁばぁ。

 そのときです。例の赤ん坊の声が聞こえたのは。
 ぎょっと眼を見開き、私は悲鳴をあげていました。そんな私の傍らにいた彼は高らかに笑います。
 ――大丈夫、恐くないよ。ほら、寒いから暖炉をつけようか?
 彼はそう私に問いかけ、部屋にある暖炉に火をつけたのです。暗い部屋が、ぼうっと灯りに浮かび上がります。
 きゃいきゃい。
 また、赤ん坊の声が聞こえました。それも天井から。
 不思議に思って、私は顔をあげました。
 その次の瞬間、私は悲鳴をあげ腰を抜かしていました。
 天井が人で覆われていたのです。
 人、人、人、人。
 赤ん坊からその母親。果ては老婆や老人、青年や、少女まで、様々な方々が、裸のまま天井にくっついているではありませんか。
 正確には、天井そのものが人で構成されていたのです。
 彼らの皮膚は切開され、隣にいる人間の皮膚と無理やり繋げられているのです。彼らは手術用の糸で縫い合わされているのでしょうか。接合があまりうまくいってないのか、ときおり大きく飛び出た糸が彼らの皮膚から垂れ下がっていました。
 ――みんな話していたお母さんですよ。
 だぁだぁ!
 だぁだぁ!
 彼の弾んだ言葉に、床が激しく動きます。驚いて床に眼をやると、赤い絨毯が敷かれた床はぐらぐらと動いておりました。
 私が彼に眼を向けると、彼は微笑みながら言いました。
 ――みんな、喜んでこの家の一部になっているんです。驚くことはありませんよっ!
 彼の放った言葉の意味が分かりませんでした。
 そのときです。唖然とする私の顔に、ぽたりと冷たいもが降ってきたのは。
 慌てて私は顔をあげます。天井に張り付いてる人々が、眼から涙を流しているではありませんか。
 中には、腫れあがった乳房から母乳を滴らせている若い娘もおります。
 その娘の腹部には赤ん坊が縫い付けられておりました。お腹がすいたのか、赤ん坊は泣きじゃくっています。
 じぃんと私の乳首が熱を持ちました。その哀れな子供に、乳をあげたいと強く私は思ったのです。
 我が子はこの天井のどこかにいるのでしょうか? 私は眼を巡らせ、必死になって自分の子供を探していました。
 ――坊や、坊や。どこにいるのっ!?
 私が叫んでも、聞こえるのは天井に縫い付けられた赤ん坊の泣き声だけです。
 私の子はどこなの!!
 私は彼に叫んでいました。私の子を返してと彼に訴えました。馬鹿ですね……。あの子を彼に押し付けたのは、他ならぬ私なのに。
 鬼気迫る私に彼はにっこりと微笑みかけ、天井のすみをそっと指さしました。
 あそこに我が子がいる。
 いてもたってもいられなくなって、私は部屋のすみへと駆けていきました。
 だぁだぁ……。
 だぁだぁ……。
 弱々しい赤ん坊の声が聞こえます。あぁ、間違いありません。生まれた瞬間、罵詈雑言を浴びせた私の子の声です。
 我が子を見ようと顔をあげた瞬間、私は悲鳴をあげていました。
 そこに私の子はいました。間違いなく私の子でした。
 あの子は、生まれたときと同じ老婆のような顔で私を迎えてくれました。頬はこけ、皺の寄った唇か弱々しい声を漏らしていました。
 体は枯れ木のように瘦せ細り、鋭い肋骨が腹から覗いていました。その腹の皮膚が切り開かれ、奇麗にピンでとめられているのです。皮膚を剥がれた肋骨はびっしりと桃色の肉で覆われ、右側には赤く蠢く心臓が覗いていました。
 そして我が子の頭部には、見知らぬ乳児の頭部が縫い付けられていたのです。
 その乳児の頭は太った頬を歪め、健康な泣き声をあげていました。その子が泣くたびに、私の子はびくりと体を痙攣させ苦しげに呻きます。
 涎を力なくたらす我が子の側では酷いアンモニア臭がしました。小さな性器から、その子は絶えず尿を垂れ流していたのです。
 ――ごめんね。その頭についた子が死にそうになっていたから、その子の頭部につけるしかなかったんだ。
 弾んだ声が私の耳朶にとどきます。
 私は恐る恐る声の主へと顔を向けていました。彼は人の好さそうな笑みを浮かべて、私に微笑みを投げかけていました。
 ――栄養チューブを屋敷に縫い付けてある人々には張り巡らせているんだけど、この子には上手く栄養が行渡らなくてね。そのうえ、この子の栄養を頭の子がとってしまうんだ。だからあなたの助けが必要なんだよ。
 彼が何をいっているのか、意味がわかりませんでした。どうしてこんな狂ったことができるのか、私には理解できませんでした。
 ――あぁ、あなたも驚いているのか……。
 彼の顔から笑みが失われます。能面のような顔を私に向けながら、彼は天井の中心を指さしました。
 暖炉の淡い明りに照らされ、天井の中央がかすかに窺えます。その中央に一人の女性がくくりつけられていました。
 その女性を見て、私は言葉を失いました。
 母でした。
 死んだはずの母が、天井に縫い付けられています。暖炉の灯りが、真っ白な母の肌を桜色に照らしていました。闇市での生活ですっかりこけていたはずの頬はふくよかさを取り戻し、何より母の乳房からは乳が滴り落ちているではありませんか。
 母の乳房には無数のチューブが取り付けられており、そのチューブが天井に縫い付けられた人々へと伸びているのです。
 ――あの頭についている子供は、私と彼女の子供なのですよ。彼女の胸から生まれる母乳が、彼らを生かしているのです……。素晴らしいでしょう……?
 うっとりとした声で彼が告げます。私は目の前の光景が信じられず、ただただ彼を見つめることしかできません。彼は私を見すえ、こう告げたのです。
 ――栄養が足りません。この屋敷にいる人々を生かすためにもっと母乳が必要なのです。あなたの赤ちゃんを生かすためにも、もっと栄養が必要なのです。
 タスケテ……。
 彼の言葉のあとに、小さな声が続きます。
 タスケテ……。
 幻聴だと思ったそれは、まぎれもない子供の声でした。私は、声のした天井をすみへと顔を向けていました。
 私の子が口をもごもごと動かしています。ぐぎりと私の子は折れそうな首を動かし、血管の血走る眼を私へと向けました。
かっと眼を見開き、我が子は告げます。
 タスケテ……。お母さん……。



 そういう訳で、私は天井に吊るされているのです。ほら私の乳房にたくさん穴が開けられてチューブが通されているでしょう? これは、この屋敷に縫い付けられている人々全員に栄養を送るためのチューブなんです。
 どうして彼がこんなことをしたかって?
 ここに縫い付けらえている人々は、自力では生きていくことが出来ない重篤な障害をもった人々なのでそうです。
 その人々を生かすために、彼は人々を屋敷に縫い付け、栄養価の高い母乳で彼らに栄養を送り続ける独特の延命方法を思いついたのです。
 もう1つ理由があります。
 彼は母を愛していたそうです。死んだと思っていた母は彼の手によって密かに救われ、母もまた彼を愛していました。
 そして彼の人を救いたいという想いを叶えるために、母は天井に縫い付けられることを自ら望みました。彼は母を天井に縫い付け、母の母乳を屋敷中の人々に与えることにしたのです。
 もう、母が死んで何年経つでしょうか。私は母の意思を受け継ぎ、ここにいるのです。
 え、その母乳はどうやってだしているか、ですか……。
 えぇ、それはもう私の子供も成人して大きいですから。相手には困っていませんよ。



 

            

ケモノの物書き堂はナマケモノの一次創作ブログです。創作関連の最新情報はこちらまで。

 

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