​  幻想蒐集館 栞

       火の玉~或いは、この世で最も恐ろしいモノについての考察。

 

 原発問題に、普天間基地問題に、ヘイトスピーチ、それから東日本大震災とその後から活動が活発になったレイシストの皆様方。
 敗戦を基盤に築き上げられた現代日本の社会は、どこか軋み始めているように思えてならない。
 これは作者の愚痴を書き綴った駄作ですので、不快に思われた方は作品、もしくは私自身をないものとしてお取り扱いくださいますようお願いします。

​ 寡黙だった祖父がこんなことを言ったことがある。
「アメリカは、日本を駄目な国にしたんだよ」
 普段はそんなことを言わない人だから、とても驚いたのを覚えている。といっても、私の住んでいる群馬県は右翼系の政党が古くから強い力を持っていて、この母方の祖父も右翼系の総理大臣を支持する典型的な群馬県民だった。
 たぶん、この言葉はそんな祖父の来歴に由来しているのだと思う。
 祖父は赤紙によって徴収されたが、幸い訓練中に戦争が終わった。彼から聞いた戦争体験と言ったら、グラウンドを上官に何度も走らされたということぐらいだ。
 そんな祖父の実家のお墓に私は連れていかれたことがある。
 まだ、小さくてよく覚えていないが、たぶんあれはお盆の時期だ。墓の前に割れた写真立ての中に入った青年の遺影があった。どうもそれは、祖父の亡くなった兄のものらしかった。
 そのお墓があった場所も、祖父の実家の地名すら私は思い出すことができない。ただ、そこに映ったモノクロ写真の青年の姿だけが妙に印象に残っているのである。
 これが戦争かと漠然と思った。
 私の祖父は、孫もいる老人になっているのに、祖父の兄であった人は永遠に写真の中で青年のままなのだ。
 まだ若い命が、戦争という障害によって見事に分断される。そしてその人は戦争があった時代に閉じ込められて、永遠に年をとることすら出来なくなる。
 たぶんこれから皆様にお聞かせするお話は、そんな命を取られた人々の話なのだ。戦争という歴史の中に永遠に閉じ込められた人々の話なのだ。




 最近妙に焼死体が多くなった。
 地元新聞が焼死体のことしか書き散らさない。新聞といったら右翼か左翼にきっかりと別れているのが常なので、それが嫌で私は地方新聞しかとらない。
 嫌なはずなのに、最近私がとっている地方新聞は右翼にすっかり鞍替えしたらしい。左翼系の――それもかなり過激な人たち――が、焼死体になって相次いで発見される事件が相次いでいる。新聞はこれらの事件は彼らの行き過ぎた行為が招いたものだと非難しているのだ。つまるところの右翼系の過激な人たちに焼かれちゃったということらしい。
 東京のコリアンタウンで堂々とヘイストピーチをおこなっていた極右翼だって、群馬では常識的なことしか訴えない大人しい集団なのに。
 左翼も左翼とて、国道沿いにあるショッピングモールの駐車場でときおり「自衛隊いらない」と選挙車に乗ったおじさんが物騒なことを騒ぐぐらい。
 はぁっとため息をついて駅の陸橋から周囲を眺める。眼下には電車の行き交うレールが横一列に何本も並び、遥か視界の奥には裾野が美しい赤城山が聳え立つ。
 その赤城山を見て思い出す。
 群馬では狐火が見られるのだ。亡くなった母方の祖母が、その昔見たことがあると私に語ってくれたことがある。
 祖母曰く、青白い光が、山の中腹を突っ切っていったというのだ。
 お天気雨と合わせて、狐火は狐の嫁入りを知らせるための合図だというが生憎と私は見たことがない。
 その祖母が狐に騙されそうになった話も思い出す。
 若い頃、習い事に行った帰りに番傘を差した背筋の美しい女が、何の前触れもなく祖母の前に現れたというのだ。祖母の前を歩いているというのに、祖母が歩みを止めれば番傘女も立ち止まり、祖母が足を速めれば、その女も足を速めたというから奇妙なものだ。
 その女は、阿弥陀堂の前に来るとすっと姿を消してしまったという。
 まさかと思いつつ、奇妙な想像をしてみる。
 狐火が焼死体を作っているのではないかと。
 どうして狐がそんなことをする必要があるんだよ。自嘲しながら、私は陸橋を歩く。鉄の陸橋は、歩くたびにカランカランと音をたてて、私にあることを思い出させてくれる。
 東京タワーはスクラップになった戦車で作られた鉄塔なのだ。また顔をあげる。赤城山の麓に立つ県庁と、市街地と、その市街地を跨ぐように鉄塔が一直線に並んで、たるんだ電線で繋がっている。
 群馬県に住んでいれば、どこでも見られる光景だ。あの鉄塔は新潟の方までずーと続いていて、柏崎刈羽原子力発電所まで伸びていた気がした。東日本大震災があったときには、たしかその原発が止まって大変なことになった。
 鉄塔の列はだらだらと首都まで伸びていく。この鉄塔行列が倒れれば、首都圏を輝かせる電気が途切れることになる。
 原発反対と声が聞こえる。私は声のしたほうへと顔を巡らせていた。
 赤城山の反対側には駅のロータリーが広がっていて、そこで原発反対と叫ぶ人々がプラカードを掲げてロータリーをぐるぐると回っている。
 子供でも迎えに来たのだろうか。女性が乗った軽自動車が、ロータリーに入れずウィンカーを点灯させていた。
 邪魔だなっと思った。
 それでも、未来のために、子供たちのためにと、原発反対と叫ぶ人々はロータリーを巡り続ける。彼らに、子供を車で迎えに来たであろう女性の姿は眼に留まらない。
 ふと、計画停電のことを思い出す。
 暗闇に包まれた街の中で、原発が地震にやられたらしいと私に告げてくれた母の言葉を思い出した。
 夜中に電気がついて、テレビに映った光景に釘つけになった。
 津波が映っていた。見たこともない大きな津波が、沿岸の町を呑みこんでいた。町が炎に包まれ、撮影用の飛行機がテレビの隅っこに映っていた。
 毎日、毎日、死んでる人が瓦礫から見つかる映像が普通に流れた。その死体を見つめて、やっと帰って来たとにこやかに笑うおばあさんの姿が忘れられない。
 まるで、別の世界に来たようだった。
 私の周囲で、死んだ人は一人もいなかった。
 本当に群馬は地震の被害がなくて、犠牲者はたった一人。地震があった翌日、運悪く屋根から落ちたきた瓦が頭にぶつかり、死んだ女性だけだった。
 だから、あの出来事が嘘じゃないかとたまに思うときがある。テレビに映っている映像は遠い国の別の場所で起きていることかもしれない。
 だって被害にあった場所は遠くて、本当かどうか確かめに行くことが出来ないのだ。
 だから、私には未だにあの出来事が夢のことのように思える。
 それでも否応なしに世間は変わる。変われないまま、私はその世間の中に放りだされた。
 個人主義がよくないものになった。婚活や結婚サイトが増えた。政治に無関心だった若者が、頻繁にデモを行うようになった。
 福島第一原発がメルトダウンを起こしている瞬間、決死の対応にあたっていた東電社員の活躍が忘れ去られた。
 原発を持つ東電が悪者になった。東電叩きがエスカレートして、東電に勤めていた親戚が心を病んだ。
 その人の家族はバラバラになった。

 原発反対!! 原発反対!!

 耳にうるさくデモの騒音が聞こえる。
 デモを見るのも嫌になって私は赤城山へと体を向けていた。
 原発へと続く鉄塔行列が見える。先ほどまで深緑色をしていた赤城山が、夕焼けに微かに赤く染まっている。
 まるで、燃えているみたいだ。狐火みたいだ。
 眼の前のデモ行進も燃えてしまえばいい。
 はっと我に返って、自分が考えたことを反芻する。
 燃えちゃえばいいと思った。うるさいデモ行進がなくなれば良いと思った。
 どうしてそこまで原発を悪者扱いするのか、私には分からない。
 専門家でも分からなかった千年に一度の大規模な地震に襲われて、無事な施設がはたして世界にどれくらいあるだろう。それでも世間の人は、原発事故は人災だという。
 その人災を起こした関係者には罵詈雑言をぶつけてもいいという。その結果、そこに勤めていたというだけで家族すら崩壊する人が出ても構わないらしい。原発がなくなれば、今まで以上に原油に依存しなくてはならないという現実がみえないらしい。原発の解体そのものに莫大な費用がかかって、国の経済を圧迫するという考えはないらしい。
 自分たちのむちゃくちゃな考えが通れば、今の世の中の現状なんてどうでもいいのだ。自分たちの主義主張のせいで、世の中が滅茶苦茶になってもこの人たちは正常になったと言い張るのだ。その逆は、異常だと言い張るのだ。
 自分たちの考え以外は正しくないのだ。
 頭に子供の顔が浮かぶ。家族が壊れた人には子供があって、この子が利発でとても良い子だった。
 原発反対論者たちはこの子から普通の家庭と、ごく当たり前の日常を奪い去った。
 その反対する人たちにも、子供がいるというのに。
 ロータリーに眼を向ける。原発反対のデモは鳴りやまない。軽自動車は相変わらずロータリーの前で止まって、ウィンカーをチカチカ鳴らしている。
 あの人たちのもとに狐火が飛んで行ったらどうなるのだろう。ロータリーは火の海になるのだろうか。あの、ロータリーに入れない軽自動車は無事に逃げられるのだろうか。
 ふと、そんなことを考えた。




 翌日、駅のロータリーで焼死体が発見された。
 それも複数体。みんなデモに参加していた人たちだった。
 びっくりして眼を見開いた。何度も紙面を読んで、被害者たちの安否を確認した。
 その中に、軽自動車が巻き込まれたという記述はなかった。少しほっとした。
 ほっとしたのもつかの間、どうして自分の妄想が現実になったのか私は疑問に思った。
 もしかして自分で火をつけたのではないかと思ってしまう。
 あの日、駅のロータリーに降り立つことはなかったのに?
 はてさて疑問は山積みだ。でも、私はたしかに思った。
 狐火によって、原発反対論者たちが燃えてしまえばいいと。
 その妄想と同じ出来事が現実に起きたのだ。
 でも私に超能力なんてものはない。では、この現象はなんだろうと考えてみても、出てくる答えはなかった。
 顔をあげると、また駅のロータリーが眼に入ってくる。このあいだ、デモ行進を目撃したのと同じ鉄橋に私は立っていた。
 その場所で、またデモ行進がおこなわれている。今度は、俗にいう右の人たちの行進だった。
 曰く、外国人参政権を許すな!
 曰く、外国人は日本から出ていけ!!
 群馬県は、外国人労働者が多い。その関係で、どこかの市が外国人の住民投票権を認めようとした動きがあったらしい。
 それに触発されて、右に偏った人たちがデモを行っているのだ。そんな彼らの横を、一人の大人しそうな少女が通り過ぎていく。関わりたくないのだろうか。彼女は足早にローターリーを後にしようとしていた。
「ちょっと君、私たちの話に耳を貸しなさいっ!!」
 そんな彼女をデモ隊員が呼び止める。隊員は彼女の肩を掴み、体を引き寄せていた。
「やだっ! 放してくださいっ!」
「貴様、もしかして非国民かっ!? 日本人じゃないなっ!」
「はぁ!」
 素っ頓狂な彼女の声に私も思わず驚いていた。あの男はいったい何を言っているんだ。彼女はただ、デモの前を通り過ぎようとしただけじゃないか。
「台湾か? 中国かっ? それとも半島か? 答えろっ!! お前たちのような人間が日本の利権を貪っているんだ。戦争で死んでいった先人たちの顔に泥を塗っているのは、お前たちだっ!」
「はぁ!? 何言ってるんですかっ!?」
「ふざけるな、白を切るつもりかっ!? この非国民っ!!」
「痛いっ! やめてください! 痛いっ!!」
 男は少女の手首を掴み、ぎりぎりと捻りあげていく。その光景を見て、私は思わず叫んでいた。
「やめろっ!!」
 欄干から身を乗り出し、私はデモをしている奴らを睨みつける。奴らの視線がいっせいに私へと集まって来た。
 ――なんだアイツはっ!
 ――非国民だっ!!
 ――日本人じゃないっ!!
 口々に奴らは私のことを罵ってくる。私のもとに来ようとしているのか、奴らは駅の入口へと向かっていた。私のいる陸橋は駅の東口へと続いている。奴らは東口から私のもとへと来ようとしているのだ。
 乱暴な足音が近づいてくる。私は咄嗟に欄干から離れ駆けだしていた。陸橋がゆれる。乱暴な怒声と、ガンガンと私を追う足音があたりに響き渡る。
「待ちやがれっ! この非国民がっ!!」
 男たちの声が、すぐ後ろでする。私は一層速度をあげて、階段を降りようとしていた。そのときだ。視界が暗転した。
 足を滑らせ、私の体は宙に投げ出される。仰向けになった視界の中で、私はありえない光景を目にしていた。
 橋の上で男たちが燃えている。
 彼らは一様に悲鳴をあげながら、自分たちを焼く火を何とか消そうと懸命にもがいていた。そんな彼らの努力をあざ笑うかのように、火の玉が飛んできては彼らの体にぶつかっていく。
 ふっと私の視界は、赤城山を映していた。夕焼けに映えるその雄大な山から、火の玉が後から後から飛んできては、陸橋の男たちを襲っている。
 火の玉は、笑っていた。
 火の玉に顔が浮かび上がって、その顔が笑っているのだ。
 赤城山の麓に広がる街も、燃えていた。
 そういえば、今日は前橋大空襲があった日だ。たくさんの焼夷弾が県庁の建つ市街地に降って、たくさんの人を焼き殺した日だ。
 漠然と私は思った。
 火の玉は、時の止まった人たちなんだと。
 祖父の兄のように、生きることを止められてしまった人たちなのだ。
 その人たちが、怒っている。
 何に対して?
 そこで、私の意識は途絶えた。




 気がつくと、私は見知らぬ天井を見上げていた。
 デモ隊に絡まれていた少女が気を失った私を見つけ、救急車を呼んでくれたのだ。私は近くの病院に搬送された。
 幸い、頭に軽い打撲を受けただけで私の身に別状はなかった。
 一つ、変わってしまったことを除けば。
 そっと私は、窓外を見つめる。
 蒼い空には、たくさんの笑う火の玉が浮かんでいた。火の玉は嗤いながら私のいる部屋の窓へと集まってくる。
 どうも私は、彼らに好かれてしまったらしい。
 でも、窓からこちらを除いてくるだけなので恐いことはない。もっと、恐いことがあることに私は気がついてしまったのだ。
 原発事件の直後、反原発を唱えるデモ隊の中心には反原発派の学者や、子供の将来を憂いた主婦の姿があった。
 それが今や、左翼系のメンバーで占められているように思える。
 もしかしたら、彼らが反対したいのは原発ではないのかもしれない。左の人たちは国に楯突くことがお仕事だ。なぜなら、彼らの中には他国の影響を受けた人々も多分にいるのだから。
 そんな人々が原発をこの国からなくしたい理由に思い当たった。
 これは私の妄想だ。
 恐ろしい、幽霊よりも恐いただの思い込みなのだ。
 この国の物理学は、戦後からずっと世界でも最高水準の学者を輩出し続けている。それには、物理学を思いっきり学ぶことが出来る最良の環境が必要なのだ。
 そしてこの国には、たくさんの原子力発電所がある。これは原子力を扱うことが出来る技術をこの国が十分なぐらい要していることを意味している。
 そしてつい最近、この国は武器の輸出を解禁したばかりだ。
 そしてこの国は、民主国家でありながら大陸に君臨する2国――どちらも旧共産圏の常任理事国――に囲まれている。
 今の憲法を押し付け、軍隊を奪ったどこぞ戦勝国がこの国を守ることを破棄すれば、領土を守るために国は軍備を拡張していく道をとるしかないのだ。
 その時の切り札だろうか。
 この国は、いつでも核が持てるようになっているのである。




 
 

            

ケモノの物書き堂はナマケモノの一次創作ブログです。創作関連の最新情報はこちらまで。

 

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