​  幻想蒐集館 栞

 瞳々、蝶々

 

  瞳にはその人の魂が宿るという。
  少女の瞳から放たれた光る蝶を見てからというもの、男は眼球集めに夢中になった。

 眼球が転がっている。澄んだ、黒曜石のような瞳が綺麗だ。
 僕が大好きだった女の子の顔から、飛び出たもの。その子の顔は、落石で潰されて、ぐちゃぐちゃになっている。
 眼球だけが、ぽろんっと顔から零れおちて、無事だった。
 きらきら。きらきら。
 太陽の光を受けて、眼球が輝く。白目に走った赤黒い筋が、毒々しい光彩を放っている。
 あぁ、綺麗だなぁ。
 僕は、しゃがみこみ、うっとりと眼球を眺めていた。瞳は金色に透けて見えて、漆黒の瞳孔は大きく見開かれている。
 綺麗だ、綺麗だ。
 この美しい球体が欲しい。僕は眼球に手を伸ばしていた。
 その時だ。薄茶色の瞳が、すらりと輝きを放った。
 びくりと、僕は伸ばした手を止めていた。眼球がきらりきらりと光を放つ。その光景に僕は眼を瞠った。
 眼球の中の光が、静かに形を持ったのだ。それは、光り輝く蝶だった。
 ひらひらひらひら。
 眼球の中で蝶がたゆたう。ふわりと、眼球が光に包まれる。
 瞬間、眼球は真っ赤な血を吐き出して破裂した。
 蝶がどろりと血を纏いながら、眼球から這いずり出てくる。蝶は羽根をばたつかせ、体にこびりついた血を吹き飛ばす。軽やかに羽根を動かし、蝶は空へと飛び立っていった。
 風が吹く。
 光り輝く蝶が、後から後から、どこでもなく沸いてきて、夕焼けの空を満たす。
 夕光を浴びて、透明な蝶々たちが、朱色がかった虹色の光彩を放つ。
 まるで、空に赤い虹の橋がかかったよう。
 その美しい光景を、僕はじっとじっと見つめて、網膜に焼き付けた。
 絶対に、忘れないように。
 そう、忘れてはいけないと反射的に思ったのだ。
 今では、こう思っている。
 この蝶たちは人間の魂で、人の魂は眼球に潜んでいるのだ。
 思い出して欲しい。人の思いが如実に現れる場所を。
 眼だ。
 眼こそが、人の思いを、その構成する人体の中で一番現す場所である。
 だから僕は、人の眼が大好きだ。
 だから僕は、人の眼を集めるのが大好きだ。




 冷たくなった女の子が、僕の下にいた。首を絞めて殺したから、まぁまぁ綺麗な死に様だ。少女はかっと眼を見開いて、苦悶に唇を歪めている。じんと僕の鼻腔にアンモニア臭がした。僕は顔を顰め、少女の下半身を見る。死ぬ瞬間、少女が失禁をしたために地面がかすかに湿っていた。
 くっきりとした眼が愛らしい、女の子だった。
 だから、死に際ももう少しロマンティックだと思ったんだが……。
 はぁっと僕はため息をついて、少女の眼を見つめた。
 そうそう、僕にとって一番重要なのは彼女の眼だ。死に方なんてどうでもいい。どうでもいいが、可愛い顔をしていたのだから、もう少し綺麗に死ぬべきだろう。
 そう思っているあいだにも、少女の眼はチラチラと光を帯び始めた。
 あぁ、くるくる。僕の待ち望んでいる瞬間が!!
 光はぼんやりと蝶の形を取り始める。蝶が眼球の中で光瞬くのを確認してから、僕はゴム手袋をはめ、ポケットからスプーンを取り出した。
 煮沸消毒を施した、銀色のスプーン。そのスプーンを少女の目の下に宛い動かす。
 ごぼり。
 スプーンで少女の眼を掬うと、どす黒い血が眼窩から溢れ出した。ピンク色の血管やら、真っ白な神経をメスでブチブチと切って、僕はポケットの中から小さな瓶を取りだし、蓋を外す。
 瓶の中には防腐液が満たされている。透明なその液体の中に、僕は少女の眼を放り込んだ。
 ぽちゃん。
 水しぶきをあげて、眼は液体の中へと沈み込んでいく。眼の中で暴れる蝶の光が乱反射して、瓶の中がめちゃくちゃに光り輝いていた。
 もうひとつの眼球もスプーンで掬い上げ、僕はそれも瓶の中に入れてやる。
 眼球に閉じ込められた蝶々が2羽になる。きらきらきら、瓶が輝く。
 僕はその光景に見とれながら、瓶の蓋をした。蓋をしておかないと、眼球が破裂して、捕まえた蝶が逃げてしまうのだ。
 僕が、眼球の中の蝶を収集するようになって、どのぐらいたっただろうか。
 夕焼けの中を通り過ぎる蝶々の群れ。それを見てから僕は死んだ人間の眼球の中に、蝶を見ることができるようになった。
 僕にとって、それは幸福そのものだった。
 あの美しい蝶たちを見ることができる。こんな素晴らしいことが、他にあるだろうか。
 でも、眼球の中に漂う蝶は滅多なことではお目にかかれない。紛争地帯ならともかく、この国は安全すぎる。道端に死体が転がっていようなら、即大ニュースになるぐらい。
 だから僕は、蝶を見るためにたくさん勉強したんだ。勉強して、医大生にまでなったんだ。
 あぁ! あぁ!! あぁ!!!
 初めての検死のときに見た、死体の眼球に宿る、蝶の、蝶々たちの美しさといったら、なんと言っていいだろう。
 僕の記憶に残る、赤い虹色の橋の蝶たちとは比べ物にならないほど美しかった。
 そう、綺麗なんだ。綺麗なんだ。
 すっごく、綺麗で、感激して、僕は涙を流していたんだ!!
 だから僕は、眼球を集めることにした。
 はじめは、そのへんの浮浪者を殺してた。でも、浮浪者の蝶々は霞んだ色をしていて、僕好みじゃない。今度は、売春婦を殺してみた。うん、浮浪者よりかは僕好みの蝶だったかな。彼女たちは情熱的で、その熱で僕の体も喜ばせてくれたよ。その情熱が魂たる蝶にも宿っているのか、彼女たちの蝶は炎のように鮮烈な輝きを放っていた。
 でも、何だか好みじゃない。ちょっと、自己主張が強すぎる。だから次は、援交をやっている女子高校生を殺してみた。
 お小遣いを稼ぐために自分の体を売る彼女たちだけど、蝶の色はこれまたびっくり。綺麗な青い輝きを放つ蝶だったよ。軽いノリと、チャラい外見とは裏腹に、控えめに光を放つ彼女たちの蝶は、なんて包まやしかなことか。
 でも、まだまだそれは、僕の求めている蝶ではなかった。
 最後に子供の眼球を集めることにした。最初は家に帰らず、街をフラフラしてる、子達の眼球を集めることにした。
 家庭に問題を抱え、家に帰れない哀れな子供達。そんな可哀想な子達に優しく声をかけて、彼らの眼球を収集した。
 思ったとおり、他とは比べ物にならないほど、彼らの眼球は透き通っていた。中の蝶々は透明で、七色の輝きを放つ。
 これだと、僕は思ったよ。
 僕が生まれて初めて見た、幼馴染の女の子の蝶そっくりだった。
 それからは、もう、子供の眼球ばかり収集している。収集のしすぎで、近所の繁華街では動きづらくなったので、今は、少し離れた住宅街を収集場所にしているよ。今、眼球を収集した女の子は、何人目の獲物だっけ。忘れちゃった。
 星のように綺麗な眼をした子だったから、ずっと彼女の眼が欲しかったんだ。
「綺麗な蝶々ね」
 凛とした、声がした。
 うっとりと瓶に入った眼球を眺めていた僕は、我に返る。前方へ顔を向けると、1人の少女がじいっと僕を見つめていた。
 ぎょっと僕は、眼を見開く。
 彼女は鴉のように真っ黒なドレスに身を包んでいた。詳しくは知らないが、ゴシックロリータと呼ばれる類の洋服だ。白い光沢を放つ黒髪。そして、その黒髪に包まれた容貌に僕は驚愕していた。
 ぐちゃぐちゃに顔が潰れて死んだ、幼馴染の女の子にそっくりだったんだ。
 美しい眼を細め、彼女は僕に微笑みかける。その眼の中で、光る蝶がひらひらと踊っていた。
 僕は息を呑んだ。
 今まで、生きた人間の眼球の中にいる蝶など見たことがない。眼を剥く僕を見つめ、少女は笑みを深める。彼女は僕が持つ瓶に視線を持っていて、こう続けた。
「綺麗ね。集めたがるのも分かるわ。私も蝶々は大好きだもの。でも、集め過ぎは良くない。少しならともかく、欲張りすぎると集めた蝶々たちが嫉妬して、あなたを襲ってしまうかも」
 艶かしい彼女の声音に、ぞくりと背筋が粟立つ。彼女の眼に宿る蝶々が、ゆらゆらと紫苑色に輝く。
 あぁ、あぁ、なんて美しい紫色だろう。
 僕はもう、彼女の蝶が放つ紫の輝きから眼が離せなかった。




 ――会いたいと思えば、いつでも会えるわ。ただし、私に会うのは命懸けよ。
 そう、蠱惑的な言葉を残して、少女は僕のもとを去っていった。僕はというと、銀色のスプーンを丁寧に消毒しながら、次に捕る蝶のことを延々と考えている。
 彼女の眼に宿った、紫色の蝶。
 なんて艶やかで、蠱惑的な光を放っていたことか。生きている彼女の眼に蝶が宿っていることも気になったが、僕は、一刻も早くあの子の眼が欲しかった。
 あぁ、なんであのときに取らなかったのだろう。そうすれば、彼女の眼は僕のものだったというのに。あの紫に輝く蝶を、僕はモノにできたというのに。
 本当に、びっくりしてしまって、彼女を殺すことを忘れていた。それほどまでに、彼女の眼は美しかった。眼に宿る蝶は魅惑的だった。
 僕は、僕は彼女の蝶々が欲しい。
「でも、君たちのことも愛してるよ!!」
 顔をあげ、僕は叫ぶ。僕の周囲には瓶が並べられた棚が、等間隔に並べられていた。僕の声に応えるように、瓶の中の眼球がひらひらと輝きを放つ。眼球の中の蝶たちが、いっせいに舞う。
 赤色、青色、緑、黄色。
 様々な色の蝶が踊りだし、暗い棚の中を仄かな光で満たしてくれる。
 あぁ、僕の愛する眼球たち。僕の愛が嬉しくて、喜びに踊り狂っているんだね。
 くるくるくるくる。
 眼球の中の蝶々たちが円を描いて踊りだす。
 僕は嬉しくなって、くるくる体を回していた。
 こんなとき、思ってしまうんだ。僕も早く、あの美しい蝶たちの仲間になりたいと。この醜い体を脱ぎ捨て、可憐な蝶となってどこまでも、どこまでも飛んでいきたい。
 あの夕陽の中に、虹色の橋を作っていた蝶々たちのように。
 ぴしりと、音がした。
 びっくりして、僕はとまる。ぴしりと、また音がする。
 音は、瓶の並ぶ棚からしていた。棚を見つめると、瓶に罅が入っているじゃないか。
「いけない!!」
 僕は、罅の入った瓶の元へと駆けていた。瓶の中に入っている眼球は、1番初めに収集した浮浪者のものだ。霞んだ色しか出さない蝶だけれども、僕にとっては大切な恋人の1人なのだ。
 瓶が割れてしまったら、眼球が弾けて、中の蝶が逃げてしまう。
 僕は、夢中になって瓶に手を伸ばしていた。
 そのときだ。
 ぴしり、ぴしりと、棚に置いてある全ての瓶に罅が入ったのは。
「あぁ!!」
 思わず僕は声をあげていた。その声に反応するかのように、瓶の亀裂は広がっていく。眼球の中の蝶々が激しく動き、光が乱反射する。
 びしり、びしり。
 他の棚の瓶にも、亀裂は生じているようだった。部屋中の棚のいたるところから、瓶のひび割れる音が響いてくる。
「嫌だ!! いやだ!!」
 僕は叫んだ。そのとき、轟音と共に部屋中の瓶がいっせいに割れた。
 中に入っている防腐液がぶちまけられ、眼球がいっせいに床に流れ出す。僕は、いそいで眼球へと手を伸ばしていた。
 早く瓶に戻さなくては、眼球から蝶が逃げてしまう。
 だが、手が届く寸前に眼球は破裂した。
 ばんばんと、残酷な音をたてながら、床に転がる眼球は弾けていく。弾けた眼球から光り輝く蝶が生まれ、部屋を舞始める。
「まって、まってくれっ!!」
 嫌だ。嫌だ。去らないでくれ、僕の大切な恋人たち。
 僕は蝶々たちに手を伸ばすが、蝶たちはその手をすり抜け、壁の中へと消えていく。
 す、すっと蝶たちは壁を抜けて、外へと逃れているようだった。
 僕は大急ぎで早を後にし、外へと駆けていった。



 光り輝く蝶が、夕空を埋め尽くしている。
 きらきらきら。蝶々たちは七色に輝いて、虹色の橋を形作っていた。
 呆然と、僕はその光景を眺める。
 僕の大切なコレクションが。僕の大切な恋人たちが、僕のもとから去っていってしまう。
「お願いだ!! 僕を取り残さないで!!」
 僕は両手を広げ、蝶々たちに叫んでいた。眼から涙が溢れて視界が揺れる。僕は、蝶々たちを急いで追いかけていた。
「行かないで、行かないで!!」
 叫んでも、叫んでも、蝶々たちは僕の呼びかけに応えてくれない。たしかに、君たちを閉じ込めていたことは悪いことだったよ。でも、どこにも行かせたくないぐらい、僕は君たちのことを愛していたんだ。
 どうして、その愛を、君たちは分かってくれないんだ。
 涙が、はらはらと頬を流れる。僕は、力なくアスファルトの地面に膝をついていた。
「あらあら、無様ね」
 冷たい声がした。驚いて僕は顔を上げる。
 紫色の蝶々を宿した眼球が、冷めた眼差しを僕に送っていた。
「本当に、無様……」
 幼馴染の女の子と同じ顔を向けて、あの鴉みたいな服をきた少女が、僕を見据えている。まるで僕を蔑むように、彼女の眼球に浮かぶ蝶は、冷たい輝きを放っていた。
「あぁ、あぁ……」
 僕は、少女の眼球に向かい手を伸ばしていた。
 みんな、みんな、僕のもとから去ってしまった。でも、ここに新しい蝶がいるじゃないか。僕が見た中で、とびきり美しくて、とびきり欲しいと思った蝶々が。
「君が、君が欲しい!!」
 僕は歓喜に声を弾ませながら、少女に駆け寄っていた。僕の眼には、少女の眼球に宿る蝶しか映らない。そう、この蝶がいれば、他に何もいらない。
 そのときだ、ぐるりと世界が回転した。
 視界の少女が、逆さまに写りこんでいる。少女だけでない。少女が足をつける地面が、上にあり、上にあるはずの夕空が、僕の視界の下にあった。
「あれ……?」
 僕は首を傾げる。その間にも、僕の視界に映る空と地面は、ぐるぐるとその位置を変えていく。
 やめてくれ、眼がおかしくなってしまう。
 あれ、そういえば、眼が少し痒い。じんじんと痛い、痛くなってくる。
 痛い、痛い、痛い!!
 瞬間、バンっと音がして、僕は何も見えなくなった。




 男の死体が、少女の足元に転がっていた。
 少女は漆黒のゴシックロリータを身にまとい、優美に男の側に佇んでいる。男の死体を見下ろす少女の眼は冷たく、その眼の中を跳ぶ蝶も冷たく燐光を放っていた。
 男の双眸は無残に裂けていた。その双眸を少女はじっと見つめている。男の眼に穿たれた傷が大きく捲れ、どろりと血を纏った何かが中から這い出してきた。
 それは、蝶だった。禍々しいほどに黒い、漆黒の蝶々。
 眼球から出てきた蝶は、何度もはためき、羽についた血を飛ばす。蝶は七色に光る複眼を空へと向けた。夕空には、美しい輝きを纏った蝶々たちが優美に舞っている。黒い蝶は、その蝶々たちを目指し、飛び始めた。
 宙を舞う蝶の羽根を、少女は白い指で捉える。少女の指に囚われた蝶は、抵抗するように細い足を蠢かした。
「あなたに、あの人たちの側に行く権利があると思うの?」
 冷たく、少女は蝶に問いかける。それでも蝶は、足を蠢かすことをやめない。少女はすっと眼を細め、ぐしゃりと蝶を握りつぶした。
「馬鹿な人……」
 そう呟いて、蝶の亡骸を地面に放つ。バラバラになった漆黒の羽は、ひらひらと宙を舞って、地面に落ちていった。少女はその羽を踏み潰す。
「昔のあなたは、あんな人じゃなかったのに……」
 ふっと少女は、空を仰ぐ。空を見上げる彼女の眼は、今にも泣きそうだった。
 夕空には、きらきらと輝く蝶たちが虹の橋を形づくっている。
 夕空を優美に舞う蝶たちを見て、少女は悲しげに言った。
「この光景さえ見なければ、あなたは狂わなかったのかもね……」


 

            

ケモノの物書き堂はナマケモノの一次創作ブログです。創作関連の最新情報はこちらまで。

 

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