​ ナナ島クロニクル

​天の審判


 ひらひらと、暗闇に色鮮やかな振袖たちが翻る。アカギの甲板は、極彩色の振袖で溢れていた。振袖は、甲板に生えた木に吊るされ、風を受けてはためいている。
 ナナは風にゆられる振袖を、ママの枝に腰かけながら見つめている。横には、生まれたばかりの妹が膜に包まれ枝から吊るされていた。
 振袖に合わせながら、ナナは猫耳をゆらしてみせる。振袖は亡くなった姉妹たちが纏っていたものだ。
 風通しが良い日に、ナナはこうやってみんなの振袖を木に吊るし風を通す。ナナは振袖がいっせいに風に煽られるこの光景が好きだった。
 まだ、みんなが生きていたころ、お祝いがあるとナナたちは振袖を着て踊りを披露した。戦闘機に乗ったパパ達とともに空を旋回したり、蜻蛉返りを繰り返したり。
 ナナたちの飛行ショーは、他島のニンゲンや翼猫たちにも大人気だった。
 得意な蜻蛉返りを繰り返すたびに、ナナは下界にある島々から拍手と歓声を貰ったものだ。
 パパ達が死んでからも、ナナたちは新たな魂が生まれるたびに振袖を着て空を舞った。
 そのたびに、魔女たちがお祝いの歌をナナたちのために歌ってくれた。
 そして今日、ナナは久しぶりに振袖に手を通したのだ。新たな命の誕生を祝うために。
「にゃあ……」
 昼間、踊ったことを思い出す。ナナはうっとりと鳴き声を漏らし、木に吊るされた妹を見つめた。
 トクトクと、赤い心臓を胎児である妹は懸命に動かしている。ナナは、その鼓動を感じたくて、両手で妹を覆う羊膜を抱き寄せていた。
 頬ずりをすると、柔らかなぬくもりが頬を包み込んでくれる。妹の心音が、頬を通して伝わってくる。
 この子のために、ママはどんな色の振袖を作ってくれるのだろうか。
 ナナが赤い時計草の振袖だから、この子は空のように蒼い振袖がよく似合う。そこに、美しい蝶々がたくさん描かれているのだ。
 セフィロトから生まれた魂たちのように、煌く蝶々たちが。
 とても静かだ。何も、聴こえない。
 ふと、違和感を覚えてナナは眼を見開く。先ほどまで吹いていた風がおさまり、あたりは不気味な静寂に支配されていた。
 鳥の鳴き声さえ、聴こえない。
 ナナは前方を見つめる。
 どす黒い海が、氷のように冷たい月影を映し込んでいる。その月影を遮るように、赤く禍々しい輝きが、黒い海面に映りこんでいた。
 さぁっと、枝にとまっていた蝶々たちがざわつくようにナナの周囲を舞う。ナナはとっさに枝から飛び降り、ママを仰ぎ見ていた。
 ママは怯えたように眼を煌めかせている。空からいくつもの轟音が降ってきた。
 ――ニンゲンが、来た。
 ぎりっと奥歯を噛み締め、ナナは海へと視線を戻す。
 鉄の体を摩擦で赤く染めネフィリムたちが、突風をともないアトランティスへと落ちてきていた。



 それは、今まで見たことがない光景だった。
 何十体という大小様々なネフィリムたちが、体を赤く照らしながら夜空から落ちてくる。ネフィリムたちは、まるで天使のような様相をしていた。
 アルカイックスマイルを浮かべたネフィリムたちは、女の四肢を持ち、背には青銅の羽を生やしている。ネフィリムたちが羽を動かすたびに、突風が巻き起こり、凪いでいた海を荒立てた。
 ナナは、牙を剥き出しにしながら、奴らに唸っていた。
 大戦によって地球を汚し、アトランティスに攻め入り、ナナの姉妹たちを殺した。
 それにも関わらず、やつらは自分たちが正義だとでも言いたげに、天使を模したネフィリムをアトランティスへと落としてきた。
「ふしゅぁあああああぁあああ!!!」
 四つん這いになり、地面に爪を立てたナナは奴らを威嚇する。蝙蝠の翼を勢いよく羽ばたかせ、ナナは飛翔した。
 左手を振りかざす。開いたナナの掌に空中に霧散するマナが集まり、大鎌を形作った。ナナは、大鎌を構えながらネフィリムの1体へと肉薄する。
 すでに円陣を組んだ魔女たちが、結界を張ってネフィリムの落下を食い止めていた。その周囲を、翼猫たちが取り囲んでいる。
 ネフィリムの上空に、円陣を作った魔女たちが現れ呪文を唱える。不可視の壁によって守られた翼猫たちは、いっせいに敵へと向かっていった。
 ネフィリムの唇が開かれ、流麗な歌声が紡がれる。猫たちはその歌声を聞き、いっせいに動きをとめた。翼猫たちは、頭を抱え苦悶に悲鳴をあげる。異変に気づいた魔女たちは呪文変え、眩い雷をネフィリムに降らせた。
 轟音が鳴り響き、突風が吹き荒れる。突風に備えられなかった翼猫たちは風にあおられ、散り散りになる。
「にゃう!!」
 ナナは叫び、雷が直撃したネフィリムへと突進していた。鎌を両手で構え、煙をあげる敵へと渾身の一撃を叩き込む。胸部を引き裂かれたネフィリムは、鈍い音をたてながら結界の上に倒れ込んだ。
 ナナはコクピットがあるはずの胸部へと急いで向かう。その内部を見て、ナナは驚愕した。
 コクピットは空だった。複雑な文字や数式が映像となって宙に浮く空間には、誰もいない。混乱に、ナナは立ち尽くす。
 ニンゲンたちはネフィリムに乗り込み、神経をネフィリムとリンクさせる。それによって、ネフィリムを自分の体のように操ることが出来るのだ。
 それなのに、操縦者の姿がない。ナナは鎌を下ろし、ネフィリムの顔を見つめた。不気味な笑顔を浮かべる女の顔。その大きな眼は、松明のように煌きを宿している。
 その輝きを認め、ナナは驚愕に体を震わせていた。
 その煌きは、光り輝く無数の蝶だった。セフィロトから産まれ、旅立っていたはずの魂たちが、ネフィリムの眼に閉じ込められている。
 フラスコの中にいくら生物をつくる材料を入れても、生き物は誕生しない。だが、そこに産まれたばかりの魂を無理やり入れたらどうなるだろうか。
 フラスコの中には、新たな命が誕生する。それが、ほんのわずかな鉄くずであったとしても。巨大な天使を模した鉄の塊だとしても。
「うわあああああああぁ!!!!」
 ナナは怒りに雄叫びをあげていた。ニンゲンどもは、ナナたちを屠るだけでは飽き足らず、セフィロトから生じた魂すらも汚そうとしているのだ。
 あるべき場所にいくはずの魂を捉え、鉄の塊に閉じ込め、ナナたちを殺す兵器に仕立てあげた。そんなことをすれば、生まれるはずだった命は、魂すら持つことさえ許されず朽ちていく。
 地球の生命そのものが、死に絶える。
「わぁあ! わぁあ!! あぁあ!!」
 ナナはめちゃくちゃに鎌を振り回し、ネフィリムを切りつけた。ネフィリムの胸部に穿たれた刀槍は大きさを増し、飛び散った金属片がナナの頬を傷つける。
 それでもナナは、手を休めず巨人を斬りつけ続ける。
 憎い。憎い。
 大切なもの全てを、汚し、奪っていくニンゲンどもを皆殺してやりたい。
 ぐきりと、ネフィリムの首が動いたのはそのときだった。驚いて、ナナはネフィリムから跳び退く。両手で鎌を構え、唸り声をあげながら牙を剥き出しにする。
 ネフィリムは首を回転させながら、両手を結界に叩きつけ始めた。その両手の指が触手のように伸びる。それは、勢いよくナナへと肉薄してきた。ナナは触手を鎌で斬りつけ、ネフィリムへと疾走する。
 ネフィリムは仰向けの状態のまま手足を結界につけ、蜘蛛のような俊敏さでもってナナに襲いかかってきた。微笑みを浮かべる唇が、耳元まで裂ける。
 裂けた口からは、鋭利な牙の羅列が剥き出しになっていた。敵はナナを捕食せんと、その口を大きく開ける。ナナは身を捻り、右手へと逃れる。鎌の刃を地面に向け、柄を右上にした状態で持つ。
 ネフィリムは疾走の勢いを殺すことができず、前進することしかできない。ネフィリムの開いた口に、ナナは鎌の刃を思いっきり叩き込んだ。刃は、突進を続ける敵の体を横に切り裂いていく。切断されたネフィリムの断面は摩擦により灼熱色に輝き、真紅の火花がナナの体に飛びかかっていく。
 ナナの大鎌によって体を分断されたネフィリムは、轟音をたてながら倒れ込んだ。ぱっくりと割れたネフィリムの断面がナナの視界に飛び込んでくる。
 その中身を見て、ナナは眼を剥いていた。
 ネフィリムの体内には無数のコードと、コードに繋がれた円型の硝子が詰め込まれていた。ひび割れた硝子は透明な液体で満たされている。その中には翼猫たちの首が浮いていた。
 ぷかぷかと浮き沈みを繰り返す彼女たちは、虚ろな眼をナナに向けてくる。唇をかすかに動かし、彼女たちはナナに何かを伝えようとしている。
 ぞわりと肌が粟立ち、ナナは硝子の中でたゆたう同胞の首を見つめることしかできない。彼女たちは外に連れて行かれたという翼猫たちだろう。
 このネフィリムは、生きている彼女たちの魂を糧に動いていたのだ。彼女たちは、ネフィリムの動力源になるため、体と首を切断され、生命維持装置であると思われる硝子球の中に閉じ込められた。
 あまりのおぞましさに、胃液がせり上がってくる。ナナは込み上げてくる嘔吐感に耐えながら、唇を動かす首へと視線を送り続ける。
 彼女は、ナナに何かを伝えようとしている。大切な、言葉を。
 ――殺して……。
 そう、彼女はナナに語りかけていた。
「にゃぁ……」
 声が、震えてしまう。眼が熱くなり、ナナは涙を流していた。彼女は虚ろな眼を綻ばせて、ナナに微笑みかける。ぎゅっとナナは唇を噛み締め、大きく翼をはためかせた。結界から飛び去り、ナナは高度を上げていく。
「にゃあ!!」
 顔を上げ、円陣をつくりながら旋回する魔女たちに叫ぶ。魔女たちは、その声に応え詠唱を始めた。魔女たちの声が円陣の内側に魔法陣を描いていく。描かれた魔法陣からは青い火柱が放たれ、下方にいるネフィリムを焼き払った
 熱風が周囲を襲い、ナナの身もを焦がそうとする。だが、ナナは翼をはためかせながら、その場に留まる。
 じっと、炎に呑まれていくネフィロムの体を見守る。ほろほろと涙がナナの頬を伝い、海へと落ちていった。
 そのときだ。猫耳を劈くような、鋭い音がナナの鼓膜を襲った。驚いて、ナナはがした上空を仰ぐ。円陣をつくっていた魔女たちが、悲鳴をあげながら海へと落ちていく。
 ひゅっという音とともに、左羽に違和感を覚えた時には遅かった。豪雨のように、無数の銃弾が闇空から降ってきた。
 ナナの視界に、ネフィロムたちの姿が映り込む。翼を背に持ち、アルカイックスマイスを浮かべるネフィロムたちの胸部から、銃弾は放たれていた。
 悲鳴をあげようと、ナナは口を開けようとする。ナナの喉を銃弾が貫通し、ナナの口腔を鮮血で満たした。
 銃弾はナナの掌に、脚に、両翼に穴を開けていく。穴を穿たれながら、ナナは落ちていく。上空を捉え続けるその視界に、ありえないものを映し出す。
 それは、巨大な女の顔だった。天を突くばかりのセフィロトさえも凌駕する大きさを有した顔。その顔が、赤銅色に輝きながら、地上へと落ちてくる。
 女の眼は、まるで煌星のような無数の煌きで彩られていた。その輝きは女の眼に閉じ込められた光輝く蝶と、淡い光を放つ翼猫たちの首からできている。
 大きく眼を見開き、ナナは唇を震わせていた。ごぼごぼと、鮮血がナナの口から溢れ出る。大粒の涙がナナの眼から生まれ、空へと放たれていく。
 女の唇が元まで裂ける。女は剣呑とした牙の羅列を見せつけながら、セフィロトの上部へと噛みついた。凄まじい轟音とともにセフィロトが噛みちぎられる。噛みちぎられたセフィロトからは、悲鳴のような叫び声が無数に湧き上がった。食いちぎられたセフィロトの幹から、赤黒い液体が勢いよく吹き出す
 血にも似たその液体は、燐光を放ちながら海を赤黒く染めていく。
 セフィロトが、殺された。
 ナナたちの大切な、地球の命が、ニンゲンたちに狩られた。
 ナナは大きく口を開け、叫ぶ。だが、気道は血で満たされ、ごぼごぼと赤黒い泡を吐くことしかできない。
 ふと、ナナは違和感を覚える。
 銃弾が体にあたっていない。温かなぬくもりが、自分の体を包み込んでいる。
 我に返り、ナナは血飛沫をあげるセフィロトから視線を放していた。眼前に、先端から血を流す、三毛柄の猫耳を捉える。
「にゃあ……」
 弱々しい仲間の声が、慰めるようにナナにかけられた。ナナはとっさに彼女の顔を見つめていた。
 大きな漆黒の眼を綻ばせ、彼女はナナを安心させるように微笑んでみせる。彼女は、包み込むようにナナを抱きしめていた。
 ナナを、弾丸の嵐から護るために。
 谷の淵で悲しみに打ちひしがれていたナナに、手を差し伸べてくれた女の子。優しくナナの手を握りしめ、彼女は魂がセフィロトに還っていく様子をナナと一緒に見守ってくれた。
「にゃぁ……」
 大丈夫だよと彼女は鳴く。ナナを強く抱きしめ、彼女は翼をはためかせた。
 ナナを抱きしめた三毛猫の翼猫は、海面を目指し急降下していく。ナナを弾丸から守るために、彼女は海に落ちる気なのだ。
 高い水しぶきをあげながら、ナナたちは海へと突入する。水の中で、ゆっくりと彼女の体がナナから離れていく。
ナナはとっさに彼女の手を掴んでいた。だが、彼女がナナの手を握り返すことはない。
 握った彼女の手は、ゆっくりと冷たくなっていく。ナナは眼を歪める。
 彼女はそんなナナに微笑みを返すばかりだ。もう、笑うことしか彼女はできない。
 ナナは体の震えを堪えながら、彼女の手をそっと放す。ナナのもとをゆっくりと離れ、彼女の体は海底へと沈んでいく。
 ゆらぁん、ゆらぁん。
 セフィロトの鐘の音が聴こえる。遠く、かすかな音の中に、ナナは悲しい女たちの歌声を聞いた。
 海底から、鰭のついた脚をゆらめかせ、魔女たちが現れる。魔女の1人が、三毛猫の翼猫の体を優しく横抱きにした。彼女は、向きを変え海底へと戻っていく。
 悲しい歌声がナナの猫耳に響き渡る。魔女たちがナナを取り囲み、鎮魂の歌をうたっている。
 その歌を聴きながら、ナナは意識を手放していた。

 

ケモノの物書き堂はナマケモノの一次創作ブログです。創作関連の最新情報はこちらまで。

 

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