​花吐き少年と、虚ろ竜

殻の人魚たち

Tio estas, de knabo kaj kava drako kraĉ floro filino de la historio de amo.

 腐った肉の香りがした。
 きゅんとヴェーロは鳴いて、鼻を啜ってみせる。湿った海風が鼻にはいってきて、ヴェーロは思わずくしゃみをしていた。
「あぁ、なんて美しい鬣……。本当に君は最高だよ、ヴェーロ……」
 背筋が寒くなる台詞が、耳朶に届く。きゅんとヴェーロは鳴いて、眉間に皺を寄せていた。
 自分をげんなりさせる存在が、背中には乗っている。
 番のヴィーヴォは黒い眼をうっとりと細め、銀糸の鬣を櫛で梳いてくれる。彼は箆も使ってヴェーロのいらなくなった鱗を剥いでいく。ヴィーヴォが箆を動かすたび体に心地の良い刺激が走り、ヴェーロはきゅんと眼を細めていた。
「あぁ、なんて可愛い鳴き声なんだ……。本当に君はこの世で一番愛くるしい女性だよ……」
 ヴィーヴォが弾んだ声をはっする。彼の発言にヴェーロは眼を顰めていた。心地よい鱗取りもヴィーヴォの台詞のせいで気持ちよく感じない。
 ヴィーヴォは自分のことを四六時中褒めちぎってくる。ヴィーヴォのそんな台詞を聞かされるたび、背筋が寒くなるのはなぜだろうか。
 気を取り直して、ヴェーロは前方を見つめる。
 自分たちのいる岬からは、蒼い光を発する海原がどこまでも広がっていた。その海原に、うねる星空が映りこんでいる。
「はーい、次は鍵爪のお手入れだよぉー」
 ひょいっとヴィーヴォが背中から跳びおりて、前方へとやってくる。彼は手に持った鑢でヴェーロの鍵爪を研ぎ始めた。
「これから狩りにいくからねぇ。僕もナイフのお手入れしないと……」
 ヴィーヴォは腰に吊るしたナイフをそっとなでてみせる。それと同時に、美しい歌声が海原から鳴り響いてきた。
 人魚の歌声だ。

 おいで、おいで……。

 そう、人魚たちの歌声は囁きかけてくる。ヴィーヴォは眼を鋭く細め、海を見すえた。
 彼の眼の中で漂っていた光が、外へと飛びだす。それは、ヴィーヴォの眼に留まっていた星だ。星たちは明滅を繰り返しながら、海へと飛んでいく。
 そんな星たちに、ヴィーヴォは歌をうたってみせる。
 彼の美しいアルトの声色が、人魚の蠱惑的な歌と重なる。
 それは輪唱となって、海原に響き渡る。
 星が、ヴィーヴォのもとへと戻ってくる。星は彼の眼に吸い込まれ、その中で輝きだした。
 ヴィーヴォの眼が光にゆらぐ。ふっと彼が唇から息を吐くと、それは花となって空に散らばっていった。
 菖蒲に似たそれは、藍色をした結晶の花弁を持っている。花はヴィーヴォの周囲を輪舞する。
「人魚に捕まっちゃうからね。ここから早く離れて欲しいな……」
 周囲を舞う花をなで、ヴィーヴォは微笑む。ヴィーヴォの言葉に応え、花たちは星空へと昇っていった。
 ヴェーロは空を仰ぐ。
 蒼い星空の向こう側では竜たちの陰影が行ったり来たりを繰り返していた。
 空の向こうには中ツ空と呼ばれる世界がある。そこはヴェーロの故郷でもあり、空を飛んでいる虚ろ竜たちの棲む世界でもある。
 そんな竜の影を瑠璃色の地球が照らしている。その地球を目指し、ヴィーヴォの吐いた花が飛んでいく。
 この虚ろ世界は、三層に分れる。
 上方にある、生命の故郷たる地球と、虚ろ竜たちが飛び回る中ツ空。そしてヴィーヴォたちがs住まう、虚ろの底にある水底だ。
 水底は、虚ろ竜たちが取りこぼした命が生きる場所だ。この世界で死んだ生命の魂は、死後も星となって夜空をさまよう。
 そんな魂を浄化し、灯花と呼ばれる花の結晶に変える者たちがいる。灯花に変えられた命は、新たな生命として生まれ変わることができるのだ。
 人々は、そんな存在を花吐きと呼んでいる。
「さぁ、愛しい僕の恋人。人魚狩りの時間だよ」
「きゅんっ!」
「まったく、ポーテンコ兄さんも人使いが荒いんだから……。死にかけの弟に人魚殺しなんてやらせないよねぇ」
 ため息をついて、ヴィーヴォは身に着けた首飾りに手を充てる。首飾りには竜胆の形をした飾りがあしらわれていた

 ――頼むから、私たちのようにはならないでくれ……

 ヴィーヴォの兄であるポーテンコの言葉を思い出し、ヴェーロは胸を痛めていた。
 少し前まで、聖都を追放された自分たちは洞窟の巣で気ままな生活をしていた。
 でも、その生活はもう終わりだとヴィーヴォは言った。自分は花吐きだから、人のために役に立たなくてはいけないと。花吐きがいなくなっている今、さまよっている魂を浄化できるのは自分だけだと。
 それが罪を犯した自分の贖罪なのだとヴィーヴォは言う。
「ヴェーロ、どうかした?」
 ヴィーヴォが優しく声をかけてくる。彼を困らせたくなくて、ヴェーロはわざと明るい声で鳴いてみせる。ヴィーヴォは優しく微笑んで、自分の首を抱きしめてきた。
「兄さんのことは気にしなくていい。僕は、君と一緒にいたからいるの。君がいなかったら、今でも僕は聖都の暗い霊廟に独りでいただろうね……」
 彼が寂しそうに眼を伏せる。そんな彼を見ていると、ポーテンコが自分に向けてきた眼差しを思いだしてしまう。
 とても辛そうな、彼の眼差しを。
 卵だった自分がヴィーヴォのもとに落ちてこなかったら、ヴィーヴォは罪人として裁かれることはなかったのではないのか。
 彼が自分を罪人だと責めることもなかったのではないか。
 そんなことを、ヴェーロはポーテンコの眼差しを思い出すたび考えてしまうのだ。
「ねぇ、ヴェーロ。僕のことじゃなくて、兄さんのこと考えてるでしょ?」
 ヴィーヴォに話しかけられ、我に返る。彼が不機嫌そうに自分を見ている。
「君の番は僕だよね? なんで他の男のことなんて考えるのさ。僕は、君がいればそれでいいのに……」
 ヴィーヴォはふんっと自分から顔を逸らす。何だかおかしくなって、ヴェーロは彼に優しく鳴いていた。ヴィーヴォはちらりと自分を片目で見てくる。
「ヴェーロ、竜の姿をした君にだから言うけれど、僕はいつも君のことばっかり考えてるよ……。でもさ、君が人の姿になると何も言えなくなって、君が竜の姿になるとクサい台詞が止まらなくなるんだ……。姿形なんて関係ない……。君がどんな姿をしていたとしても、毎日君のために愛のポエムを囁いてあげたいのに……」
「きゅん……」
 それは気持ち悪いからしなくていい。ヴェーロは自分の気持ち鳴き声に託す。ヴィーヴォは眼を見開き、自分の胸元に顔を埋めた。
「ごめんなさい……。お願いだから、嫌わないで……。僕、君がいないと生きていけないんだ……」
「きゅん……」
 別にそんなことで嫌いになったりしないのに。困った自分が鳴くと、ヴィーヴォは潤んだ眼で自分を見あげてきた。
「だって、僕の側にいてくれるのは君だけだもん。僕を花吐きじゃなくて、ヴィーヴォとして扱ってくれるのも君だけ……。それに、君は家族じゃなくて僕を選んでくれた。それが嬉しくて、その……」
 かぁっと頬を赤らめ、ヴィーヴォは自分から顔を逸らす。彼は自分の頭を抱き寄せ、額に唇を落とした。
「この前のお返し……」
「きゅん……?」
 彼はいたずらっぽく笑って、頭を放してくれる。そんなの毎日やってるじゃないかと、鳴き声でツッコミを入れてみせた。
「いいの! 男をお姫様抱っこしたうえに、唇を奪うヴェーロの方がおかしい!」
 顔を真っ赤にしてヴィーヴォは叫ぶ。
「本当は、ちゃんと僕だって君にキスをしたいさ……。でも、恥ずかしくなっちゃって……」
 眼を逸らし、ヴィーヴォはぼやく。
 そんなヴィーヴォを嘲笑うように、人魚たちの囁き合う声が聞こえてきた。
「たっく、海の乙女たちは僕らの愛する時間すら奪っていくねぇ、ヴェーロ」
 口元に歪んだ笑みを浮かべ、ヴィーヴォは海原を睨みつける。
「さぁ、ヴェーロ。今日も素敵な人魚たちと歌をうたおうか。彼女たちの悲鳴が、僕の歌のメロディになるんだけど」
 光の瞬く眼を自分に向け、ヴィーヴォは妖しく微笑んでみせた。彼は腰に差したナイフをなぞり、ヴェーロの鼻筋にキスをする。彼は勢いよく地面を蹴ってヴェーロの背に跨った。

 

 


 はらはらと銀の鱗が、海底に落ちてくる。
 海上を仰ぐ。藍色に輝く結晶の花が海の向こう側を飛んでいるのが見てとれた。
 蒼く輝く瓶を持ったメルマイドは、尾ひれを翻し海面へと上昇していく。地球に照らされ、彼女の鱗は蒼を帯びた虹色に輝く。海藻のようにゆれる桜色の髪が水面に映りこみ、メルマイドは薄紅色の眼に笑みを浮かべていた。
 落ちてくる銀の鱗の一片を掴んでみる。
 掴んだ鱗の角度を変えると、それは貝のような乳白色の光沢を放った。
 綺麗だ。そして、思いだす。
 蛆と汚物に塗れながらも、綺麗な眼でメルマイドに微笑んでくれた彼の姿を。
 メルマイドは胸に抱えた瓶を顔の前に持ってくる。
 その瓶の中に、一揃いの眼球があった。
 それは地球の光を受けて、銀色の燐光を放っている。
 彼の眼は本当に素敵だ。
 その眼に微笑みかけてもらえることが嬉しかった。
 彼は、メルマイドが看病をすると快方に向かって行った。それでも彼の体は元の形を取り戻すことはなく、醜い彼を同胞であるはずの人間は追涯した。
 それでも、彼の眼の美しさは変わらなかった。彼は星屑のように煌めく眼を細め、いつもメルマイドに微笑んでくれたのだ。
 彼の吐く灯花は、メルマイドの鱗にそっくりで――
 不意に、アルトの歌声が海中を満たす。不快なその歌声に回想を邪魔され、メルマイドは眼を顰めていた。
 また、あいつがやって来た。
 私たち人魚から星を奪う少年が。
 海上へと眼をやると、銀色の竜が空を飛んでいる。波にゆられ歪む竜の背には、夜色の少年が乗っていた。
 銀の竜に乗った花吐きが、メルマイドたち人魚を狩りに来たのだ。
 歌声に応えるように、白砂で覆われた海底が光り輝く。海底には桜色の珊瑚が咲いている。その珊瑚を蒼く照らすものがあった。珊瑚の枝に瓶が置かれ、その中で星たちが瞬きを繰り返しているのだ。
 少年の歌声に共鳴し、星の入った瓶が震える。瓶に罅が入り、それらが割れていく。星たちは煌めきながら、海月のように海中を漂う。
 おいでと、少年の歌声が語りかける。
 僕の花におなりと、彼は星たちを誘う。
 メルマイドは胸元に眼の入った瓶を抱き寄せ、海上を睨みつける。
 海面がゆれ、竜の翼が海に漣をつくりだす。
 美しい歌を奏でる略奪者たちは、メルマイドのいる海底を襲おうとしていた。

 

 


 仲間であった花吐きが、殻に殺された――
 そう、ヴィーヴォが語ってくれたのは数か月前だ。
 星々を映す海は、黄金色の輝きを宿している。その美しい煌めきを見つめながら、ヴェーロはヴィーヴォの言葉を思い出していた。
 殻は、地球から落ちてきた卵が割れたときに生まれた存在だ。命を宿した卵が割れ、その殻が水底に落ちていった。
 その卵の殻から、意思を持つ生き物が生まれたという。
 魂を持たない彼らは、長大な寿命と、魂に惹かれる性質を持つ。
 彼らには星になった魂を蒐集する習性がある。その習性から、星を灯花にする花吐きをたびたび襲うことがあるというのだ。
「珊瑚色は本当にお人よしだったからなぁ……。一生懸命、病気になった漁村の人たちをお世話して、自分も病気に感染した挙句、殻に殺されちゃったんだから。僕より年上だったんだよ、あの人……」
 自分の背でヴィーヴォがぼやく。
 聖都には教会を統べる色の一族がいる。始祖の竜の直系たる彼らからは、強力な力を持つ花吐きが生まれる。
 色に関する二つ名を与えられる色の一族の花吐きたちは、教会に捧げられ始祖の竜の使いとして信仰の対象となる。
 ヴィーヴォは黒の一族を代表する二つ名の花吐きだ。
 ヴィーヴォの二つ名は夜色。そのほかにも、金糸雀、緋色、若草、そして今回殺された珊瑚色の二つ名があるという。
「珊瑚色は二つ名の中でも力が弱い方でね……。だから、吐ける花も少なかった……。長生きできたのに何で花吐く以外の原因で死んじゃうかな……。僕が来る前に、殺されるかなぁ……」
 寂しげなヴィーヴォの言葉に、ヴェーロの胸はぎゅっと詰まる。
 ヴィーヴォは人間が苦手だ。でも、その人間に彼は優しい。
 特に、彼は同胞である二つ名の花吐きのことを大切に思っているらしいのだ。
「まぁ、敵はとるけどね……。行くよ、ヴェーロ!」
「きゅんっ!」
 ヴィーヴォが声をかけてくる。ヴェーロは勢いよく鳴いて、海を目指し急降下していく。
「{Vero}(ヴェーロ)!」
 自分の鼻先が冷たい海面を突き破った瞬間、ヴィーヴォが名を呼んだ。
 ヴェーロの体は眩い輝きに包まれる。翼は飛魚の鰭を想わせるものへと変形し、後ろ脚は一纏まりになって尻尾と繋がる。翼と鰭ひれのついた前足を後方へと流し、体の形を変えたヴェーロは海の中を悠然と泳ぐ。
 そんな自分の背鰭を掴み、ヴィーヴォもまた海中へと沈んでいく。
 そんな自分たちに近づく影があった。
 人魚だ。
 尾鰭を悠然と動かし、人魚たちが自分たちを追って海の中へと沈んでいく。
 ヴィーヴォは首に巻いていた首飾りを外し、人魚めがけて投げつけた。ヴェーロの鱗でできた首飾りは水中でばらばらになり、人魚たちに襲いかかる。
 人魚たちは悲鳴をはっし、海底へと沈んでいく。
 水かきのついた人魚の腕がヴィーヴォに伸びる。ヴィーヴォは腰に佩いたナイフを抜き放ち、人魚の腕を切りつけた。
 気泡と共に人魚が咆哮をあげる。その人魚の胸元を、ヴィーヴォは袈裟懸けに切り、体を蹴って自分から引き離す。
 人魚は、煌めく欠片となって崩れ去っていく。
 海底が近くなる。
 珊瑚礁の中で輝く星たちを認め、ヴェーロは動きをとめる。
 ヴェーロは大きく口を開け、巨大な気泡を背中にいるヴィーヴォに放った。気泡はヴィーヴォを包みこみ、珊瑚礁へと降下していく。
 ヴィーヴォが唇を開く。
 美しいアルトの旋律が、気泡に閉じ込められた彼を中心に放たれた。
 瓶の割れる音が海中に響く。瓶の中に閉じ込められていた星たちが、海中を漂い始めた。
 揺蕩う星たちが、瞬きを繰り返しながら気泡の周囲を巡る。それは光の筋となってヴィーヴォの眼に吸い込まれ、星屑の光となって瞬く。
 ヴィーヴォの眼が煌めく。彼の紺青の髪が淡い輝きを放ちだした。
 ふっとヴィーヴォが息を吐く。
 彼の唇から、竜胆を想わせる結晶の花が生じる。藍色のそれは気泡の中を漂い、光の筋を描きながら海面へと上昇していく。
 ヴィーヴォを包む気泡が割れる。ヴェーロは急いでヴィーヴォへの側へと泳いでいった。彼は自分の背鰭を掴み、背中を軽く叩く。
 ヴィーヴォの合図を受けて、ヴェーロは海面へと上昇する。怒り狂う人魚たちの声が耳朶に轟く。人魚たちが自分たちを追いかけてくる。
 そんな人魚たちにヴィーヴォが微笑みかけた。
 海底から銀色に光る粒子が舞いあがり、人魚たちに襲いかかる。
 ヴィーヴォが沈めておいたヴェーロの鱗だ。銀の鱗は閃きながら人魚を切り刻んでく。
 悲鳴が海底に木霊する。人魚たちが透明な粒子となって崩れていく。
 ふと、かすかな歌声が聞こえ、ヴェーロは眼を見開いていた。
 歌声が気になって、海底へと眼を向ける。珊瑚の森の中で、悲しげに歌う独りの人魚がいた。
 桜色の髪を翻し、彼女は薄紅色の眼を自分に向けてくる。そんな彼女の周囲を、人魚たちの粒子が舞っている。
 歌は、ヴェーロに宛てられたものだった。

 どうしてあなたは、人といるの。
 あなたは、こちら側の存在なのに―― 

 人魚の歌声に、ヴェーロは眼を見開いていた。
 歌声は告げる。
 私の大切な人は、人間に殺されたと。

 

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