花吐き少年と、虚ろ竜
海辺の葬儀
Tio estas, de knabo kaj kava drako kraĉ floro filino de la historio de amo.
「ただいま。珊瑚色……」
そっとヴィーヴォは光苔の生えた墓石に話しかける。ヴィーヴォの声に反応するように、墓石の周囲に生えた薄紅色の灯花がしゃらんと音を奏でた。
桜に似たその花々は、ヴィーヴォを歓迎するように明滅を繰り返す。その灯花たちを見て、ヴィーヴォは海底の光景を思い出していた。
墓石の周囲に生える灯花は、人魚たちが巣食う珊瑚礁のようだ。
それから、海底で見かけた桜色の人魚。
「あなたは、海底にいったことがあったの?」
ヴィーヴォは桜色の人魚に思いを馳せる。悲しげに歌を奏でていた彼女にヴィーヴォは困惑していた。
人魚は、彼が人に殺されたとヴェーロに訴えかけていた。
――ねぇ、夜色。殻は美しいと思わない? 彼女たちは心優しいから魂に惹かれるんだと思う。
珊瑚色の言葉を思い出す。
霊廟に閉じ籠っていたヴィーヴォのところに、彼はよくやって来て外の世界の話を聞かせてくれた。
疫病で苦しむこの漁村のことも、彼はヴィーヴォに話してくれたものだ。
そこに棲む、海の魔性たちの話も。
彼もヴィーヴォのように魂を人魚たちに盗られそうになったらしい。そして、初めは彼女たちをヴィーヴォのように狩っていたのだが――
「なんか、彼女たちと仲良く歌をうたっていたとか……。彼女たちのために、海底に灯花の花畑を作って、兄さんにお叱りを受けていたらしいですね、あなた……」
苦笑しながらヴィーヴォは珊瑚色の墓をなでていた。
「なんか、あなたらしいや……」
自分には到底できない芸当を簡単にやってのけてしまうこの人が羨ましい。
珊瑚色は、奔放で自由な性格の人だった。
彼の話術にかかれば、どんな人も心を開く。ヴィーヴォもそれは同じだった。
そんな彼に惹かれる人は多かったと思う。例えばそれが人でない殻だとしても、彼は人と区別することなく接したのではないだろうか。
たぶん、ヴェーロに歌を贈った人魚も彼を慕っていたに違いない。
「でも、なんであの人魚はあんなこと……」
ヴィーヴォは黒い眼を眇めていた。
珊瑚色はこの漁村で流行っている伝染病に罹ってしまい、死を待つばかりの状態だった。
聖都から派遣されていた珊瑚色の仕事は、伝染病で死んだ人々の魂を灯花に変えることと、人魚たちから星となった魂を守ること。
そんな彼を、村人たちは手厚く看病していたという。それは兄ポーテンコが記した記録からも明らかだ。
そんな彼は死の間際に忽然といなくなり、亡き人となって海岸で発見された。
死んだ彼の周囲では、人魚たちが歌を奏でていたという。
それは明るい、とても陽気な歌声だったそうだ。
人魚たちにも個性があり、人格がある。
おそらく彼をよく思っていなかった人魚の一団が、彼を殺したのだろうとポーテンコは言っていた。
その死を祝い、歌をうたっていたのだろうと――
「夜色さま……」
震える声が自分を呼ぶ。
自分がかつて名乗っていた二つ名で呼ばれることに、まだ慣れることができない。苦笑しながら、ヴィーヴォは声のした背後へと振り返っていた。
黒髪を二つに束ねた少女が、不安げな眼差しをヴィーヴォに送っている。彼女は黒衣を纏った小さな少年の手を握りしめていた。
漁村の子供たちだ。
珊瑚色がよく面倒を見ていたのか、彼女たちはよく珊瑚色の話をしてくれる。
珊瑚色はこう言っていたそうだ。
海には、桜色のお姫さまがいると――
「お父さんが……動かない……」
眼に涙を溜めながら、少女は小さく告げる。少女に手を握られた少年は、姉である彼女の手を力強く握りしめていた。
「そう……。お父さんは、頑張って生きたんだね……」
ヴィーヴォは子供たちに優しく微笑みかけてみせる。そんなヴィーヴォを見あげ、子供たちは泣きだした。
彼女たちに母親はいない。伝染病で亡くなったのだ。
そんな母親の面倒をみていた父親も、病に倒れ明日をも知れない状態だった。
そっとヴィーヴォは子供たちに近づき、優しく彼女たちを抱きしめる。ヴィーヴォの体に顔を埋め、子供たちは泣き続けた。
子供たちに、ヴィーヴォは優しく語りかける。
「大丈夫、死は恐いものじゃないから……。永遠の別れなんかじゃないから……。お父さんのために素敵な歌をうたおう。お父さんが、君たちの側にずっといられるように……」
彼の歌声が聞こえる。
漣の音を伴奏にしたその歌声に、ヴェーロは耳を傾けていた。
銀糸の髪が人の姿をとったヴェーロの頬をなで、下方へと流れていく。蒼い眼を歪んだ窓に向けると、眼下に広い砂浜が見えた。
地球の光を浴びて輝く砂浜にいくつもの松明が輝いていた。紺青の海は砂浜に小さな波を送り続ける。
その波際に素足をつけ、星空に向かって歌声を放つ少年の姿があった。
彼の横には、小さな木製の帆船がある。その船の中に、たくさんの人間が詰つめ込まれていた。
みんな胸の前で指を組み、ぴくりともうごかない。人々の体は、淡く光り輝いている。
魂が、彼らの肉体から離れようとしているのだ。
ヴィーヴォが――墨色の僧衣を纏まとった少年が――美しいアルトの旋律を周囲に響き渡らせる。
その声に呼応するように船に収められた体は淡い輝きを放ち、そこから光る星たちが生じる。 星たちは光の筋すじを描きながら歌を奏でるヴィーヴォのもとへと集った。
星々は螺旋を描きながらヴィーヴォへと近づいていき、彼の眼へと吸い込まれた。彼の体が白く輝く。彼が唇を開くと、灯花が暗い夜空に放たれた。
竜胆の形をとったそれは、松明の元へと集っていた村人たちのもとへと落ちていく。
「ヴィーヴォがいない……」
ヴィーヴォを見つめながら、ヴェーロは呟いていた。
書なに頬を押しつけ、ヴェーロは持っていた鱗ペンを手放す。自身の鱗で作られた白銀のペンは頼りない音をたてて、机の上に転がった。
照明代わりに使っている風信子の灯花がりんと音を放つ。
鱗ペンの転がった机の上にヴェーロは眼をやる。そこには、ヴィーヴォが繊維をより合わせて作った、美しい長光草の紙が置かれている。
Vivo,Vivo,Vivo,Vivo……。
紙には拙い筆跡で、彼の名前がいくつも綴つづられていた。そこにヴェーロは彼の名前を書き足す。
Vivo……。
書いたばかりの文字をなぞると、インクが白い指につく。
彼が自分の手を握って文字の書き方を教えてくれた。
手の甲に、彼の手のぬくもりを感じる。寂しかった心に灯がついたような気がして、ヴェーロは顔を綻ばせていた。
――これが僕の名前、ちゃんと覚えてね。
彼の声が耳朶に蘇り、うっとりと眼を細める。その声で、ヴィーヴォはたくさんの物語をきかせてくれる。
この世界を夢見ている地球の少女の話。
地球から生命の宿った卵が虚ろ世界に落ちてきた話や、虚ろ世界とともに生まれたという始祖の竜の話。
殻からから生まれた人魚たちの、悲しい恋物語。
でも、ヴィーヴォはこのところ物語を聞かせてくれない。
この村に来てから、ヴィーヴォは人間たちにつきっきりだ。伝染病を罹った村人たちの面倒を見て、彼らが死ねば花を吐く。
そして、星となった村人たちを守るために人魚も狩る。
竜がつくった巣にいたころは、ずっと一緒にいられたのに。
「人間の姿……。窮屈で嫌……」
細い自分の指を眺めながら、ヴェーロはぼやく。五指を動かしペンを手にしてみる。手の中にある鱗ペンに違和感を覚え、ヴェーロはそれを手放してしまう。
この漁村にやって来てから、ヴィーヴォはヴェーロに人の姿でいることを強いるようになっていた。
別に人の姿になるのは構かまわわないのだが――
「きつい……」
纏っている服を両手で掴つかみ、ヴェーロはぼやく。
長光草で編まれたそれは、簡素な作りをしているが、胸元と裾にあしらわれた竜胆の飾りが見る者の眼を引く。
ヴェーロのために、ヴィーヴォがつくってくれた服の一つだ。服というものをヴェーロは好きになれない。
纏うと体が圧迫されて、縛りつけられているような感覚を抱いてしまうのだ。
ヴェーロは聖都の人間たちに縄で縛りつけられたことがあった。傷だらけのヴィーヴォがやってきて、ヴェーロをすぐに縄から放してくれたけれど。
そのときのことを思い出すから、服はあまり着たくない。
「きゅーん!」
叫んでがばりと起き上がる。服に手をかけ、それを思いっきり脱ぎ捨ててみせた。
そのときだ。部屋の扉が開けられたのは。
「ごめんヴェーロ、遅くな……」
「ヴィーヴォっ!」
彼の声がして、ヴェーロは扉へと顔を向けていた。驚いた様子でこちらを見つめるヴィーヴォと眼があって、ヴェーロは首を傾げる。
さらりとヴェーロのうなじを銀髪が流れていく。ヴィーヴォはいっそう大きく眼を見開いて、ヴェーロから顔を逸した。
「服……着て……」
頬を赤く染めながら、ヴィーヴォが小さく言う。
「服、嫌い……」
「着なさいっ! Vero!」
ヴィーヴォが怒鳴り声をあげる。
ヴェーロは腕に不自然な力が入るのを感じていた。ひとりでに腕は床に落ちた服を拾いあげ、ヴェーロは己の意思とは関係なく服を纏う。
「もう……名前呼ばせないでよ……」
片手を顔に添え、ヴィーヴォがこちらを見つめてくる。ほんのりと潤んだ彼の眼がヴェーロを睨みつけている。
その眼に惹きつけられるように、ヴェーロは彼に抱きついていた。
「ヴィーヴォっ!」
「ちょ、ヴェーロ!」
ヴィーヴォが仰向けに倒れ込む。痛いという彼の言葉を耳にして、ヴェーロはがばりと顔をあげていた。
「ごめん……なさい……」
「いいよ……。僕こそ、遅くなってごめん……」
そっとヴィーヴォが頭をなでてくれる。彼の手はそのまま顔の輪郭をなぞり、ヴェーロの頬を優しくさすった。そんな彼の手をヴェーロは両手で抱きしめる。
あたたかな彼の手のぬくもりに、ヴェーロは笑みを零していた。
「あの……夜色さま……。虚ろ竜さまは……」
人間の声が聞こえて、ヴェーロは顔をあげていた。人間の子供たちが、扉から不安げに顔を覗のぞかせている。髪を二つ結びにした少女と、幼い少年だ。
子供たちを見てヴェーロは顔を顰しかめていた。少女が怯えた様子で肩を震わせる。
「ごめん。こんな格好で」
苦笑しながら、ヴィーヴォが体を起こす。そっとヴィーヴォはヴェーロを胸元に抱き寄せ、子供たちに話しかける。
「彼女が僕の竜だよ」
ヴェーロが子供たちに顔を向けると、彼女たちはあんぐりと口を開けヴェーロを見つめているではないか。なんだか気分が悪くなって、ヴェーロはヴィーヴォの胸に顔を押しつけていた。
「竜……?」
「人間……嫌……」
「この子たちは、親を亡くしたばかりなんだ。だから、その……僕が人間に虐められるから君は人間のことを嫌うけれど、この子たちは違う。僕の大切な友達なんだ。この子たちは僕にいつも優しくしてくれる……だから、ね」
ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは子供たちの方へと顔を向けていた。子供たちは困惑した様子でヴェーロを眺めるばかりだ。
「ヴィーヴォ、虐めない?」
こくりと首を傾げ、ヴェーロは子供たちに問いかける。ヴェーロの言葉に少女は大きく眼を見開き、首を横に振った。
「そんなことしませんっ! 夜色さまは私たちのために良くしてくださいます。それに、葬儀で逃げてしまった父さんの星を、追いかけようって言ってくれて……」
少女は俯いてしまう。彼女の頬に煌めくものを認め、ヴェーロは眼を見開いていた。お姉ちゃんと、少女の隣にいた少年が彼女に抱きつく。弟を、少女は優しく抱きしめ返した。
この子たちの悲しみを、ヴィーヴォが慰めようとしている。そっとヴェーロはヴィーヴォから離れ、窓際へと向かっていた。
ヴェーロの背中が光り輝き、それは一対の竜の翼となる。
「竜?」
不思議そうにヴィーヴォが自分を呼ぶ。ヴェーロは彼に振り向いて、微笑んでみせた。
「乗せて……あげる……」
ヴェーロは勢いよく窓を開ける。磯の香りが鼻を突き、強い強風がヴェーロの銀髪をゆらしていく。
これなら、よく飛べそうだ。
口元に笑みを浮かべ、ヴェーロは窓枠に足をかけていた。そのままヴェーロは外へ飛ぶ。
「お姉ちゃんっ!」
少女の悲鳴が聞こえる。
宙に身を乗り出したヴェーロの体は光に包まれ竜の姿をとっていた。
「きゅんっ!」
翼をはためかせて窓の側へと戻ってみせる。すると、窓際に立つ子供たちがあんぐりと口を開けて自分を見ているではないか。
「え……これって……」
「きゅんっ!」
弾んだ声をあげ、ヴェーロは子供たちに背中を向けてみせた。
銀の翼を翻し、ヴェーロは星空を駆ける。
その背には、夜色を想わせる少年と二人の子供たちが乗っていた。
ヴェーロの眼の前には、光の軌道を描きながら飛び回る星がある。その星を追い速度をあげる。
「うわー、凄いよっ! 竜!」
「落ちるーっ!」
「姉ちゃん、騒ぎすぎ!」
背中の上ではしゃぐ子供たちの声が、耳に心地よく響き渡る。
「きゅーん!」
ヴェーロは機嫌をよくして、下方に広がる大海原を見つめた。そのまま翼を窄め、急降下する。背中で子供たちの悲鳴が聞こえたので、慌てて上昇した。
「竜……気持ち悪い……」
ヴィーヴォの弱々しい声が聞こえてくる。やり過ぎたと、ヴェーロは顔を顰めた。それでも流れ星に追いつくため、飛ぶ速度をぐんぐんとあげていく。
塩辛い海風が鱗をなでるたび、皮膚が痛む。奥歯を噛んで、ヴェーロはその痛みを紛らわせた。眼を鋭く細め、蛇行を続ける流れ星を睨みつける。
「お父さん……どうして……」
少女の悲しい声が聞こえてきて、ヴェーロは大きく羽をはためかせていた。白銀の翼は夜空に光の軌道を描き、風を掴む。
あの流れ星は、子供たちの父親だという。
それなのに、魂になった星ときたら葬儀のときに逃げ出したというではないか。
「きゅーんっ!」
何だかお腹のあたりがムカムカとしてヴェーロは叫んでいた。自分と星の距離はどんどん縮んでいく。
「竜っ! 止まってっ!」
ヴィーヴォが叫ぶ。
背中に強い衝撃が走って、ヴェーロは空中で留まる。自分の背を駆けあがり、ヴィーヴォが宙へと躍り出た。
ヴィーヴォの紡ぎ歌があたりに響き渡る。彼の体は空中で制止し、眼は淡い輝きを放ち始めた。
強いアルトの響きが、夜空に広がる。流れ星はヴィーヴォに引き寄せられ、彼の眼へと吸い込まれる。
ふっとヴィーヴォが息を吐く。
彼の唇からサルビアに似た結晶の花が生み出される。灯花はヴィーヴォの周囲で輪舞をヴェーロの踊り、ヴェーロの背へと静かに降りたった。
「やっと、捕まえられた……」
ヴィーヴォのぼやきがきこえる。宙に漂う彼は、苦笑を浮かべながら自分の背中を眺めていた。背の上では、子供たちの歓声が聞こえてくる。
「お疲れ、竜……」
ヴィーヴォが宙を泳ぎ、自分に近づいてくる。彼は優しく自分の頭を抱きしめてくれた。
ヴェーロは彼に額を擦りつけ甘えた声をはっしてみせる。その声に応え、ヴィーヴォは頭の鬣を労うように梳いてくれた。
「ありがとうござます! 夜色さまっ!」
「ありがとう……」
背の上から子供たちの声が聞こえる。
「お礼だったら、彼女に言って……」
自分の頭をなでながら、ヴィーヴォは子供たちに言葉をかける。
「ありがとうございます。虚ろ竜さま」
「竜のお姉ちゃん。さんきゅっ!」
二つの小さな逆さ頭が、ヴェーロの眼に映りこむ。笑顔を浮かべる子供たちを見て、ヴェーロは優しく眼を細めていた。