​花吐き少年と、虚ろ竜

庭師の回想

Tio estas, de knabo kaj kava drako kraĉ floro filino de la historio de amo.

 雪のように美しい銀糸の髪を見て、ポーテンコは心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
 その髪を無造作にたらした少女が牢獄に囚われている。彼女の白い裸体は、石壁から生える鎖によって拘束されていた。
 彼女の背には竜を想わせる白い翼が生えていた。青い静脈が映えるその翼には杭が撃ち込まれ、無骨な石壁に貼りつけられている。
 幼い頃に母さんが作ってくれた蝶の標本のようだとポーテンコは思った。
 長い睫毛に覆われた蒼い眼は愁いに満ち、さながら夜空に浮かぶ地球を想わせる。その眼は、遥か遠くに向けられているようだった。
 彼女は故郷を見つめているのかもしれない。
 この暗い水底ではなく、光り輝く中ツ世界のことを。
 この虚ろ世界は三層に別れている。
 頂点にあるのが、生命たちの起源たる地球。その中央に、虚ろ竜たちの棲む中ツ世界があり、虚ろの底にはポーテンコたちの住む水底が広がる。
 水底は虚ろ竜たちの父である始祖の竜が落ちた場所だとも言われている。始祖の竜の娘たちである虚ろ竜は、父親と共に虚ろの底に落ちた命を救おうとしているらしい。
「きっと彼女は、私たちを救いたくてこの地に舞い降りたのだろうね、ポーテンコ……」
 耳元で囁かれ、ポーテンコは慌てて顔をあげる。 
 柔らかな若草色の髪が視界に入りこみ、ポーテンコは思わず息を呑んだ。その髪のあいだから、嗤いに歪ゆめられた翠色の眼が自分を見つめてくる。
「教皇さま……」
「それとも、私の愛しいポーテンコを攫いに来たのかな?」
 毒々しいほどに赤い法衣を纏まとった男は、ポーテンコの頬を優しくなぞる。まだあどけなさの残るポーテンコの顔を眼に映しこみながら、教皇は笑みを深めた。
 彼は色の一族の一つにして、代々若草の二つ名を持つ花吐きを輩出する緑の一族の長でもある。
 彼の名をポーテンコは知らない。
 名は存在そのものを規定し、その存在そのものを縛ることができる概念だ。 
 遠い昔、名が持つその力を呪術に応用することで、教会は人々を支配してきたという。
 今は廃れてしまった呪術も、この教会の中心地である聖都ではいまだに強い力を誇っている。
 それは、夜色の二つ名を持つポーテンコも例外ではない。
 そのため、聖都では人を名ではなく字や役職で呼ぶことが慣例となっている。例外と言ったら、聖都の頂点に立つこの男ぐらいだ。
 彼はためらうことなく人を名で呼ぶ。まるで自分が、名を呼ぶ人々の主であることを誇示するかのように。
「ねぇポーテンコ……。彼女の名前を知りたくはないかい?」
 そっとポーテンコを抱き寄よせ、教皇は囁く。彼の法衣を飾る金の装飾がポーテンコの頬に触ふれる。その冷たい感触に、ポーテンコは眼を見開いていた。
「何をおっしゃっているんですか?」
「実験だよ……。なぜ彼女が、この夜闇の世界にやってきたのか知るための……。ここにやってきたとき、彼女は何と言っていたと思う? 彼女は――」
 告げられた言葉が信じられなくて、ポーテンコは思わず教皇を仰ぎ見ていた。涼しい顔をした支配者は、嘲りの笑みを顔に浮かべポーテンコに告げる。
「嘘だと思うなら、彼女に聞いてみると言い。一度しか言わないよ。彼女の名前は――」
 虚ろ竜の名を教皇が口にする。
 しゃらんと鎖がゆれる音がして、ポーテンコは牢へと顔を向ける。鎖に繋がれた彼女がポーテンコを見つめていた。
 心臓が高鳴る。
 桜を想わせる唇をかすかに少女は開いていた。繰り返し、彼女は何かをポーテンコに向かって呟いているのだ。
 判然としないその言葉が古い地球の言葉だと分かった瞬間、ポーテンコは戦慄を覚えていた。
 ――{Vi ŝatas manĝi vin}(あなたを食べたい)

 そう彼女はポーテンコに囁きかけていたのだから。


  

 

 

  そっと眼を開けて、ポーテンコは回想をやめる。 
 大人になった彼の眼の前には、空になった石牢があった。かつて少女を捕らえていた鎖は虚しく宙にゆれ、彼女の翼を繋ぎとめていた杭は冷たい床に転がっている。
「どうしてあなたは、私のもとに来てくれたんですか?」
 もうここにはいない恋人に、ポーテンコは問いかける。
 ずっと空の上からあなたを見ていたと少女は答えた。あなたの香りが、私を引き寄せたとも。
「どうしてあなたは、私を食べなかったのですか?」
 泣きながら少女は答えた。
 あなたを愛してしまったから、あなたを食べられないと。
 そして彼女は、空へと帰ってしまった。
 愛する自分をこの暗い世界に残して――
 答えをくれる愛しい人はいない。それでも、ポーテンコは言葉を続ける。
「母がね、死んだんです。私とヴィーヴォを縛っていた楔は、もうどこにもない……。私の心は決まりました。後はヴィーヴォと……」 
 冷たい鉄格子を握にぎりしめ、ポーテンコは黙る。紺青の髪に隠かくされた黒い眼を細め、彼は苦笑していた。
「あぁ、私は自分の娘の名前も知らないのか……」
 ヴィーヴォのもとに卵が落ちた来たときから、悪い想像はしていた。でも、彼女が人になった姿を見た瞬間、すべては確信に変わったのだ。
 在りし日の恋人と瓜二つの少女を、他人と思えるだろうか。
「でも、私は嫌われ者だからな……」
 弟の冷たい眼差しを思い出し、ポーテンコは眼を伏せる。乾いた自分の笑い声が、妙に虚しく感じられた。
 それでも、彼らを迎えに行かなくてはいけない。
 それは自身の主である教皇と、自分が抱く目的のためにも必要なことなのだ。
 踵を返し、ポーテンコは石牢を後にする。
 彼の靴音が暗い廊下に反響する。その音は、虚しく空となった牢に響き渡っていった。

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