​花吐き少年と、虚ろ竜

心と魂

Tio estas, de knabo kaj kava drako kraĉ floro filino de la historio de amo.

 竜の象嵌が施された姿見の前で、ヴェーロはくるりと回ってみせる。すると鏡に映った自分が白いドレスを翻して体を回転させた。翻った裾からは、刺繍を施されたたストッキングを纏う細い脚と、銀の刺繍が施された靴が見えた。
「落ち着かない……」
 結い上げられた髪をなでながら、ヴェーロは頬をぷくっと膨らませてみせる。背中に生えた翼をはためかせると、髪飾りが玲瓏とした音を奏でた。
「落ち着かない……。でも、着心地はいい……」
 ドレスの裾を持ち上げ、ヴェーロは自分の身を包むそれをしげしげと見つめる。
 ポーテンコにこの屋敷に連れてこられるなり、ヴェーロは大変な目に遭っていた。たくさんの雌の人間がヴェ―ロに傅いて、大理石の大きなお風呂にヴェーロを放り込んだのだ。
 体を無理やり洗われたあとは、この服を着せられて屋敷の離れにあるこの部屋に押し込められた。
 ふいっとヴェーロは部屋を見回す。
 白を基調とした家具が揃う部屋は、レースや愛らしい竜のぬいぐるみで飾られている。
 部屋の中央に置かれた丸テーブルにはレースの施された布が敷かれ、その上に芳ばしい香りを放つ飲み物が置かれている。
 竜の象嵌が施されたカップに入っているのは、{茶華樹}(ちゃかき)から作られたお茶だ。
 他の植物と同じく地球の光を浴びて光合成を繰り返すこの植物は、長光草のように淡く輝くのが特徴だ。葉を乾燥させお茶にすると、花のような芳しい香りを放つ。
 その香りと、お湯にしみ出した葉の成分が体にいいとヴィーヴォはよく自分にこれを飲ませていた。
 ヴェーロは、このお茶からする花の香りが好きだ。ヴィーヴォの香りとよく似ているから。
 でも、どうしてヴェーロの好物がこの部屋に置かれているのだろう。ポーテンコに話をしたことなんて一度もないのに。
「きゅーん……」
 首を傾げてヴェーロは眉を顰める。たしかにヴェーロの番であるヴィーヴォは人間だ。そのヴィーヴォに合わせるために自分も人の姿をするが、人間扱いされても困る。
 けれどポーテンコの着せてくれた服は、ヴィーヴォの作ったそれより着心地がいい。それに自分が好きな色が白であることを、どうして彼は知っているのだろうか。
「竜……入るよ」
 部屋の外についた呼び鈴が鳴らされる。ヴェーロはくるりと部屋の右側にある扉へと顔を向ける。
 石英のステンドグラスで飾られた扉が開き、ポーテンコが姿を見せる。おどおどとした様子で部屋を見渡しながら、彼はヴェ―ロへと視線を向けてきた。
 瞬間、彼は眼を見開き呟いたのだ。
「彼女に……そっくりだ」
 彼女とは誰だろう?
 ポーテンコの言葉に、ヴェーロは首を傾げてみせる。しゃらんと髪の飾りが鳴って、ヴェーロは顔を顰めていた。
「髪飾りうるさい……。人間の服、嫌……。竜は人じゃない……」
「あれ……気に入らなかったかな? 君のお母さんは喜んでくれたんだけど」
「お母さん……」
 苦笑するポーテンコの言葉に、ヴェーロは疑問を抱く。
 巨大な母の顔をヴェーロは思いだしていた。その母が、この服を着ていたとでもいうのだろうか。
「どうして、お母さんが?」
「君のお母さんも昔、聖都にいたんだよ。お母さんはこの部屋でしばらくのあいだ暮らしていた。私と一緒にね」
「ポーテンコと一緒に?」
 彼の言葉に、ヴェーロは大きく眼を見開いていた。ポーテンコは笑顔を浮かべながら、ヴェーロのもとへとやって来る。
 そっとヴェーロの頭に手をのばし、彼はヴェ―ロの頭をなではじめた。
「ポーテンコ……」
 ポーテンコから懐かしい香りがする。花吐きでないのにヴィーヴォのそれを想わせる花の香り。茶華樹と同じその香りに、ヴェーロはうっとりと眼を細めていた。
 頭をなでられるたび、心地よい感触が体全体を包み込む。
 自分はこの人を知っている。でも、懐かしいと感じるこの人が何者なのか思いだすことが出来ない。
「あなたは、誰……?」
 しゃらんと髪飾りを鳴らし、ヴェーロはポーテンコに問いかける。ポーテンコは困った様子で眼を細め、笑ってみせた。
「私は、どうも君の父親のようだ」
「お父さん……?」
「それなのに、君たちが生まれたことすら私は知ることが出来なかった」
 悲しげに眼を細め、彼はヴェーロの頬を優しく指でなぞった。
「君が人になった姿を見た。そして、彼女が現れたことで確信したんだ。君は、彼女が私に授けた娘だったんだ。私が独りにならないように……。君の妹の卵もたぶん、私に宛てて彼女が落としてくれたものなんだよ。でも私は、それに気がつかなかった。だからこそ、彼女は君たちを迎えに来たんだ……。私がアテにならないから……」
 震えるポーテンコの声がヴェ―ロの耳朶を叩く。ヴェーロは父親だと名乗る男性を見つめることしかできない。
「違うよ……。お母さんは竜が寂しいと思ったから、来ただけ……。でも、ヴィーヴォがいたから竜は寂しくもないし、生きることも出来た……。だから、ポーテンコは何も悪くない……」
「竜……」
 思ったことをポーテンコに伝える。ポーテンコは大きく眼を見開き、じっとヴェーロを凝視した。潤んだ彼の眼に向かい、ヴェーロは微笑んでみせる。
 細い腕を彼に伸ばし、ヴェーロはポーテンコを抱きしめていた。
「君は……」
「そっか、お父さんだったんだ……。だから、ポーテンコは嫌じゃないし、懐かしい匂いがするんだ……」
 ポーテンコの胸に顔を埋め、ヴェーロは囁く。彼の体が震えていることに気がついて、ヴェーロは顔をあげていた。
「恐いの? 竜が恐い? ヴィーヴォも恐いとよく震えている……。でも、竜には恐いって教えてくれない……」
「いや、違うよ……」
 潤んだ眼を細め、ポーテンコが笑ってみせる。彼はヴェーロの背中に腕を回し、ヴェーロを抱きしめ返してきた。
「君が、そう言ってくれるのが嬉しいんだ。嬉しくて、どうすればいいのか分からない……」
「お父さん……」
 そっと顔をあげ、ヴェーロは彼を見つめる。眼に微笑みを浮かべ、ヴェーロは言葉を続けた。
「ただいま……」
「お帰り、私の可愛い娘……」
 娘の言葉に、父は優しい声で答えてみせた。

 

 

「我らが夜色よ……。黒の一族を司る始祖の竜の使いよ。我らが母なる銀翼の女王の名のもとに、君の罪を赦そう」
 男の言葉と共に人々の歓声が大聖堂に響き渡る。そっとヴィーヴォが眼を開けると、大樹を想わせる支柱が回廊かいろうの両側に並んでいた。灯花の巻きついた支柱に、回廊の奥にある祭壇が照らされている。
 その祭壇に立つ男を、ヴィーヴォは鋭い眼差しで見つめていた。
 若草と同じ深緑の法衣に身を包んだ男は、後方で結んだ髪をゆらしヴィーヴォに手を差し伸べた。
「銀翼の女王の恩寵を受けし愛し子よ。我が麗しの夜色よ。君に私の慈悲を授けよう」
 うっとりと翠色の眼を細め、男はヴィーヴォに来ることを促してくる。ヴィーヴォは漆黒の法衣を翻し、男のもとへと静かに歩んでいく。
「教会を統べる始祖の竜の代弁者にして、我らを護り給たまう教皇よ。私はあなたの名のもとに、再び夜色になることを誓います」
 ヴィーヴォは祭壇の前に傅く。教皇は満足げに笑い、祭壇から降りてヴィーヴォのもとへと近づいていく。彼は深々とさげられたヴィーヴォの頭に手を置き、口を開いた。
「我の名のもとに、汝が再び夜色となることをここに赦す。ここに夜色の二つ名を名乗ることを認めよう。銀翼の恩寵を受けし愛し子よ」
 教皇の高らかな宣言に、再び聖堂が歓喜の渦に包まれる。ふと髪を弄ばれていることに気がつき、ヴィーヴォは顔をあげていた。
「教皇さま……?」
「あぁ、ヴィーヴォ、お前の髪はいつさわっても心地がいい……。あのときのことを思い出すよ……」
 うっとりと眼を細め、舐めまわすように教皇はヴィーヴォを見つめる。そんな彼を見て、ヴィーヴォは怖気が走るのを感じていた。
 耐えなければならないのに、体が震えてしまう。
「おやめください……。今は……」
 髪を指に巻きつけられ、ヴィーヴォは震える声で彼を制する。彼はヴィーヴォの耳元に唇を寄せふっと息を吹きかけてみせた。
 眼を潤ませ、ヴィーヴォは肩を震わせる。
「大きくなってもちゃんと体は私のことを覚えているようだね……。あぁ、また君をこの聖都という名の鳥籠で飼えると思うと、私はとても嬉しいんだ……。あぁヴィーヴォ……」
 這うように彼の手がヴィーヴォの頬を滑る。
 彼に触れられた感触を思い出して、ヴィーヴォは反射的に彼の手を跳ねのけていた。
「あっ……」
「ヴィーヴォ……」
 我に返ったとたん、冷たい声が自分を呼ぶ。慌てて教皇を見あげると、冷たい彼の眼がヴィーヴォに向けられていた。
「ごめっ……」
「私の美しい夜の花は、いつからそんなに反抗的になったのかなっ」
 宙に翳したままの手を、乱暴に掴まれる。教皇は声を荒げ、ヴィーヴォの体を自身のもとへと引き寄せた。
 聖堂に集う人々がざわめく。だがそんな観衆を気にすることなく、教皇はヴィーヴォの腰を抱いていた。
「マーペリアから聞いたよ。人手不足で私たちが花にできなかった星たちを導いてくれたそうじゃないか……。それに免じて見逃してあげるつもりだったが、どうも君には躾が必要みたいだね……」
 そっとヴィーヴォの耳たぶをはみ、彼は囁いてくる。ヴィーヴォは体を震わせ、潤んだ眼を彼に向けた。教皇がそんなヴィーヴォをみて満足そうに微笑む。
 ヴィーヴォは不敵な微笑みを浮かべ、教皇に言葉を返した。
「何がお望みですか? どうぞ、あなたの御心のままに……」 
 ヴィーヴォの言葉に、教皇は眉を顰める。彼は口元に笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「マーペリアから聞いてはいたが、魅力的な少年に成長したものだな。これから躾ていくのが楽しみだよ……」
 顎を掴まれ、教皇の方へと顔を向けられる。
 彼の爪が顔の皮膚に突き刺さりヴィーヴォは顔を歪めた。教皇は満足げに笑って、ヴィーヴォの体を担ぎ上げようとした。
「教皇、お戯れはそのぐらいにいたしませんか?」
 涼やかな声が、そんな教皇の挙動をとめる。顎から教皇の手が引き、ヴィーヴォは慌てて後方へと顔を向けていた。
 眼を妖しげに細め、若草色がこちらを見つめている。彼は颯爽とヴィーヴォたちに近づき、後方からヴィーヴォを抱き寄せてみせた。
「若草……」
「追放生活と聖都までの長い旅路が彼を疲れさせているのでしょう。少し休めば、またあなたの知っている夜色に戻ります。それに、教皇ともあろう方が公の場所で自身の性癖を吐露しますかねぇ……」
「マーペリア……」
「夜色ははオレのおもちゃ……じゃなくて大切な友人でもあります。そんな友人が苦しめられている姿をオレは見たくない。その相手が、あなたであってもね……」
 するりとヴィーヴォの頬に指を這わせながら、若草は教皇に笑ってみせる。
「大丈夫……。他の僧侶たちの眼もあるし、このまま父さんは君から手を引くよ……。だから、震えないで……」
 耳元で若草が囁く。
 ぎゅっと優しく手を握られて、ヴィーヴォは自分が震えていたことに気がついた。
「そうか、それは残念だ。私はただ、愛しい夜色に緋色と金糸雀の話をしたかっただけなんだがね、マーペリア……」
 肩を落とし教皇は苦笑してみせる。わざとらしくため息をついて、彼は言葉を続けた。
「それに久しぶりに再会したんだ。彼と、彼のお母さんについての話もしたい。彼のお母さんがどうなったのかも……」
 ヴィーヴォに視線を向けながら、教皇は嗤ってみせる。彼の言葉を聞いたヴィーヴォは、思わず声を発していた。
「母が、どうかしたんですか?」
 幼い頃に引き離されてから、ヴィーヴォは自分の母親に会っていない。その母親に何があったというのだろうか。
「やはり……。知らされていないのか……」
 鋭く眼を細め、教皇は若草を見すえる。
 若草は怯えた様子で顔を俯かせ、ヴィーヴォを抱きしめる力を緩めた。
「どういうこと、若草……?」
「ごめん、ヴィーヴォ……。言えない……」
 ヴィーヴォの言葉に、若草は顔を逸そらす。ヴィーヴォは自身を抱く若草の腕を振りほどき、教皇の側へと走っていた。
「ヴィーヴォっ!」
「教えてください。母に何があったのか……。お願い――」
 突然、視界がゆれてヴィーヴォは言葉を発することが出来なくなっていた。
 力が入らない。体が前のめりに倒れ込み、聖堂の床が眼前に迫る。
「ヴィーヴォっ!」
 そんなヴィーヴォの体を教皇の腕が抱きとめた。彼はヴィーヴォの体を横抱きにし、耳元で囁いてくる。
「大丈夫かい? 君が倒れるなんて……」
 心配そうに教皇が顔を覗き込んでくる。歪む視界に彼を捉えながら、朦朧とした意識を振り払いヴィーヴォは口を開いた。
「大丈夫です。だから、教えて……。母さんのこと……。それに緋色と金糸雀に何が……」
「話すよ。だから、今は黙りなさい……」
 そっとヴィーヴォの頬を労わるようになで、彼は周囲の人々を見回した。
「謁見は以上とする。私はこれにて失礼させてもらうっ」
 ヴィーヴォを抱え直し、教皇は祭壇奥の内陣へと引き返す。
「父さんっ!」
 そんな教皇を若草が呼び止めた。
 ヴィーヴォは教皇の体越しに若草を見つめる。若草はじっと自分たちを見つめていた。教皇は、そんな若草に顔を向ける。
「どうして、教えてやらなんだ……?」
 冷たい教皇の声が若草にかけられる。若草は大きく眼を見開き、俯いた。
「お前も、ヴィーヴォの悲しみは分かるはずだろう。マーペリア……」
 悲しげな眼差しを若草に送り、教皇は顔を正面へと戻した。
「行こうヴィーヴォ……。君は知らなくてはいけない。たとえそれが、残酷な現実でもね」
 眼を悲しげに歪め教皇は笑ってみせる。ヴィーヴォはそんな彼から眼を離すことが出来なかった。

 

 

 

 竜胆の形をした灯花がどこまでも広がっている。
 蒼く煌めく灯花を眺めながら、ヴェーロは感嘆と眼を見開いていた。そんなヴェーロに挨拶をしたいのか灯花たちはしゃらん、しゃらんと音をたてる。
「ヴィーヴォの灯花じゃない?」
 彼が吐く灯花と音が違う。そっとしゃがみ込んで、ヴェーロは灯花の一つを指でなでた。花弁の輝きも、ヴィーヴォのそれと違い輝きが淡い。
「ヴィーヴォの母さんが吐いた花だよ。君のおばあさんになるのかな?」
 声をかけられ、ヴェーロは後方へと体を向ける。ワイシャツを纏ったポーテンコが、竜胆の灯花を手に持ち微笑んでいた。
「寒くないの? お父さん……」
 聖都に来る直前、ヴィーヴォが寒がっていたことを思いだす。ヴェーロはこくりと首を傾げていた。
 標高が高い場所にあるのに、聖都は不思議と寒くない。だからポーテンコは外套も羽織っていないのだろうが、ヴェーロの体感温度と人のそれは違い過ぎる。
 聖都を追放されてまもない頃の話だ。
 ヴィーヴォが空高く跳んで欲しいとヴェーロに懇願したことがあった。
 望み通り彼を空に載せて飛ぶと、ヴィーヴォは驚くほど喜んでくれた。それが悪かった。ヴェーロは調子に乗ってヴィーヴォが寒さに耐たえることが出来ない高度まで上昇してしまったのだ。
 その後、ヴィーヴォがどうなったのか言うまでもない。
 冷たい外気に晒された彼は高熱を出して寝込んでしまい、ヴェーロが数日間彼の体を温めて回復させた。
 それからヴェーロは周囲の温度に気を使うようにしている。今感じている温度は人間にもはちょうどいい温度かもしれないが、心配になって大丈夫かと相手に聞いてしまうのだ。
「あぁ、女王の遺骸の中は蒸気の力によって常に温められているからね。人が過ごしやすい温度をずっと保っていられるんだよ」
「ジョウキノチカラ……?」
「その昔、地球からやってきた稀人と呼ばれる人々がもたらした技術らしい。その稀人が持っていた青い装丁の本に、蒸気の力で動く乗り物が紹介されていたそうだ。私たちが知っている地球の古語にも属さない、音を意味する言葉と、物事の意味を表す複雑な象形文字が入り混じった独特の言語で書かれた難解な書物でね、その書物を何とか解読して、技術の一部を応用することができた。竜骸と坂の外縁街に設置された歯車を見ただろう? あれはこの聖都を管理するために造られた、蒸気で動く脳みたいなものなんだ。あの機械が外の気温を常に察知して、竜骸の中の温度を調整してくれている」
「あの歯車たちは、竜みたいに生きてるの?」
 大きく眼を見開いて、ヴェーロはポーテンコを凝視する。ポーテンコは困ったように笑ってみせて、答えた。
「生きてはいないかな……。あれには魂がないからね。それゆえに意思を持たず、自分が与えられた仕事を最適な方法で熟すことしかできないんだ。竜のように、服を嫌がったり、ヴィーヴォを好きになったり、そういった当たり前のことはできない……」
「じゃあ、灯花にもならないんだ……」
 魂を持たない存在。
 ふっとヴェーロの脳裏に友人であるメルマイドの姿が脳裏を過る。ポーテンコは魂が存在しないものには意思が宿らないという。じゃあ、メルマイドはいったい何なのだろう。
 彼女にはちゃんと意思がある。珊瑚色が大好きで、ヴェーロを慰めるぐらい優しい心の持ち主で。喜びも、悲しみも、笑うことだって彼女は出来る。
 そのメルマイドにも、心が宿っていないのだろうか。
「人魚にも……心はないの?」
 ぽつりとヴェーロは呟くように囁く。ポーテンコは困ったように笑って、ヴェーロの頭をなでた。
「彼女たちに魂はないが、心はちゃんとあるよ。私たちと同じ生命の卵から生まれ落ちたものだからね。彼女たちには心を造る脳という器官がきちんとある。だから、君の友達は魂がない以外は私たち人間と一緒だ」
「心を造る器官?」
「私たちは情報を司る脳が処理した世界を生きている。稀人のもたらした古文献によると、この頭にある脳からは様々な電気が発せられており、その電気が情報のやりとりを司っているらしい。脳には指なら指の動きを司る領域があり、耳には耳の部位を司る領域があるという。それら脳の異なる場所で処理された情報が、統合され一つのものとして認識される。それが今ここにいるという実感であり、意識であり、自我という自分自身の存在だ。
 水底ができた創世神話によると、私たちの存在は地球で眠り続けている少女が見ている夢そのものだそうだ。彼女が見ている夢がこの水底を始めとする虚ろ世界だという。虚ろ世界は、彼女の心そのものだという説もある」
「竜たちは夢の中で生きているの?」
 夢をみたときの出来事を思い出し、ヴェーロは首を傾げていた。
 夢を見ているときは、その見ている夢そのものが現実だと思っている。
 夢から覚めると、あれだけ現実だと思い込んでいた物が曖昧になって思いだすことすらできなくなる。
 たまに、ヴェーロは思うのだ。
 夢と現実、どちらが本当の世界なのだろうかと。もしかしたら自分は、違う世界へと夢を通じて迷い込んでいるのではないかと。
 例えるなら夢は幻だ。
 見ているときはそれを現実だと認識しているのに、起きてみるとただの夢だと認識する。
 そして、あれだけはっきりと現実だと思っていた世界の輪郭すら数分で思いだせなくなる。
「夢は、記憶の再統合とも言えるのかもしれない。人は眠っているとき、夢を通じて情報を処理しているそうだ。だから、夢を見て考えていたことに解を見つけることすらある。それから夢は、意識しない自立性を持つ心の闇からの声という説もある」
「心の闇からの声……」
「無意識。意識されていない心の暗い部分と言ったほうがいいかな。ちょうど、虚ろ世界の底にある、この水底のように……」
 ポーテンコが顔をあげる。
 ヴェーロも彼に倣って顔をあげた。水晶の骨がヴェ―ロたちの立つ屋敷の庭を覆っている。その向こう側に、星空に浮かぶ地球があった。星空に、いつもある虚ろ竜たちの陰影は見当たらない。
「この水底が少女の心そのものだとしたら、ここは心の底に広がる意識されることのない無意識の世界なのかもしれないね……。けっして誰にも知られず、意識されることもなく、暗闇に閉ざされたままそこにあり続ける……。ここに、私たちはいるというのに……」
 ポーテンコへと顔を向けると、彼は悲しげに眼を伏せていた。
「意識は、情報の最適化そのものに他ならない。脳の異なる情報を繋ぎ合わせ、一つの情報へと集約させた事象。それが、今ここにいる私たちそのものだ。意識にそれ以上の価値はなく、私たちはそれ以上の価値すらない……」
「じゃあ、魂は何?」
 ふと思った疑問をヴェーロは口にしていた。
 心が肉の器から生まれるものだとしたら、その心を司るとされていた魂は一体何なのだろう。
「魂は、伝えるものだと言われている。心が電気信号とホルモンの分泌によって創り出される夢だとしたら、魂はその夢を乗せて次の心を創り出す基盤そのもの……かな。ただ、殻には魂がないから、彼女たちの存在そのものがある意味では刹那の夢なのかもしれないね……」
「メルマイドが夢……」
 ポーテンコの言葉に、ヴェーロは両手を眺めていた。横抱きにしたメルマイドの冷たい体を思い出す。
 彼女の体は冷たくて、でも笑うとほんのりと頬が林檎のように赤くなって――
 そんなメルマイドが、夢のようにいるかどうかも分からない存在だというのだろうか。
 それなら、自分自身もそうじゃないだろうか。
 番である、ヴィーヴォも――
「でも、私たちは外からの認識によっても常に『私』であることを再確認する。私たちの意識が私たちという存在を創りあげるように、他者が私たちの存在を知覚し、私たちが何者なのかを規定する。その他者とのやりとりすらも、ある意味では心の一つの形なんだよ」
 頭をなでられ、ヴェーロは顔をあげていた。ポーテンコが優しく自分に微笑みかけている。
「だから、他者という存在が観測を続けてくれる限り、その存在が私という名の意識の中に刻まれている限り、私たちは存在し続ける……。たとえそれが、他人の記憶の中だとしても、私の大切な人たちは私の中にずっといるんだ……」
 そっとポーテンコの手が頭から離れていく。彼は眼を悲しげに歪め、ヴェーロを抱き寄せた。
「お父さん……」
「私の母は、ずっとここで花を吐いていた。私のせいで死んでしまった人々のの魂を弔うために……。ヴィーヴォと君を迎えに行ったときは、もう……」
 しゃらんと灯花が悲しげに音を奏でる。すすり泣くポーテンコの声を聞きながら、ヴェーロは灯花の花畑を見つめていた。
 花畑の中央に小さな石碑がある。
 それがポーテンコの母親の墓だと気がつき、ヴェーロは大きく眼を見開いていた。

 

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