​花吐き少年と、虚ろ竜

涙と旅立ち

Tio estas, de knabo kaj kava drako kraĉ floro filino de la historio de amo.

 ヴィーヴォが大好きだった角猪の肉が食べられなくなったのは、八歳の頃だった。
 突然、水以外のものを口が受けつけなくなり、頭の中に見知らぬ人々の声や知らない場所の映像が流れ込むようになった。
 それが死者たちの呼び声だと気がついたのは、数週間後だ。その頃にはもうヴィーヴォは死者と話をすることに抵抗もなくなっていたし、星となった彼らを眼に宿すようになっていた。
 あれだけどうでもいいと思っていた地球の光が愛しくなり、ヴィーヴォは地球浴を楽しむようになっていた。脅威でしかなかった森の動物たちとも心を通わせるようになっていた。
 そんな息子の変化に、花吐きだった母はすぐに気がつく。
 地球の光を愛おしみ、獣たちと灯花の花畑を歩く息子の姿は花吐きそのものだったのだから。
 そして母は、ヴィーヴォをこの洞窟に閉じ込められた父に引き合わせたのだ。

 

 

 

 

 

「これが、お父さん?」
「そうよ、ヴィーヴォ……」
 水晶に閉じ込められた竜を眺めながら、幼いヴィーヴォは大きく眼を見開いていた。
 夜色の鱗を持つ大きなその竜は、虚ろな漆黒の眼で自分を見つめていた。じっとその眼を見つめ返しても、竜は瞬き一つしない。 
 竜の閉じ込められている水晶にふれてみても、冷たい感触が掌に広がるだけだ。
 そもそも、この竜はちゃんと生きているのだろうか?
 急に不安になって、ヴィーヴォは母であるサンコタを振り返っていた。緩やかな紺青の髪を後方で縛った彼女は、弱々しい笑顔をヴィーヴォに送るばかりだ。
「あなたが花吐きとして目覚めたら、ここに連れてくるつもりだった。まさか、そうなるとは思わなかったけれど……」
 ゆったりとした紗の衣服を翻しながら、母はヴィーヴォのもとへと歩み寄る。母が歩くたび、光苔が淡い光を周囲に吐き出していった。
 そっとサンコタはしゃがみ込み、ヴィーヴォと視線を合わせる。漆黒の眼を細め、彼女はヴィーヴォの頬を優しくなでた。
「星に愛された私の子。あなたは今日から、人でなくて花吐きになるの。聖都を統べる夜色に……」
「お母さん、僕は花吐きさまじゃないよ……。神さまじゃない……」
 聖都の話は、母から何度も聞かされている。
 美しい竜骸で造られたその都には、魂を灯花へと浄化する神聖な少年たちがいることも。その少年たちが、この世界の命を循環させていることも。
 母は自分がその花吐きだというのだ。
 そして、母がそうであることもヴィーヴォは知っている。
 母が吐いた花が、自分たちの住むこの丘陵地帯にはたく咲いている。竜胆の形をした花々はヴィーヴォが語りかけるたびに美しい音色で応えてくれる。
 花吐きでありながら、母はヴィーヴォを育てるために花を吐くことをやめてしまった。それでも灯花と語り合う母の姿を見て、ヴィーヴォは育った。
 でも、自分はつい最近まで死者の声だって聞こえなかったのだ。そんな自分が、始祖の竜の使者として崇められている花吐きだとは思えない。
「歌をうたって御覧なさい。私がいつも聞かせている子守歌を……」
「お母さん?」
「ヴィーヴォ……」
 真摯な眼でサンコタはヴィーヴォを見つめてくる。その眼差しに、ヴィーヴォは自然と唇を開いていた。
 ヴィーヴォの唇が歌を奏でる。
 少年の美しい歌声は洞窟に響き渡り、外に広がる花畑に広がっていく。灯花が歌に合わせ美しい音色を奏でる。歌声につられ、夜空を舞っていた星々が煌めきながら洞窟へと入り込んでくる。
 星々は瞬きながら、ヴィーヴォの眼に吸い込まれていった。
 瞬間、ヴィーヴォの体を大きな倦怠感が襲う。様々な記憶の断片が脳裏を過り、ヴィーヴォは大きく眼を見開いた。
 人々の喜怒哀楽。楽しかった思い出。悲しかった出来事。
 そして、愛しい人々との別れと哀切――
 それらに触れるたび、ヴィーヴォの眼からは大粒の涙が零れていく。ヴィーヴォの子守歌は、旋律を変え死者を慰める鎮魂歌へと変わっていく。
 ヴィーヴォの体が淡い光に包まれる。眼が光り輝き、ヴィーヴォは唇から息を吐いていた。
 息とともに、美しい結晶の花弁を持つ花々が、自分の唇から生まれ出る。紫苑の形をとったそれは、ひらひらとヴィーヴォの周囲を巡りながら蒼い光を放つ。
「これは……」
 ヴィーヴォは眼を大きく見開き、灯花たちを見つめていた。
 りぃん、りぃん。
 母の灯花とは違う旋律を、ヴィーヴォのそれは発してみせる。まるで、ヴィーヴォに挨拶をしているようだ。
「母さんっ!」
「これが僕の弟ですか? 母さん」
 驚くヴィーヴォの声を遮る者がる。驚いて、ヴィーヴォは洞窟の入口へと視線を向けていた。
 法衣に身を包んだ青年が、じっとヴィーヴォを見つめている。肩口で切りそろえられた紺青の髪ゆらし、彼は鋭い漆黒の眼をヴィーヴォに向けていた。
「いや、妹……? 花吐きでることは分かりましたが、まさか母さんから女の花吐きが生まれるなんて……」
 困惑した様子で整った顔を顰め、彼はヴィーヴォのもとへとやってくる。彼は手にしたランタンでヴィーヴォを照らしてみせた。
 眩しい星が閉じ込められたランタンは、暗がりにいたヴィーヴォを蒼く照らす。星の輝きが眩しくて、ヴィーヴォは思わず両腕で顔を覆っていた。
「いえ、この子は男の子よ、ポーテンコ……」
 そんなヴィーヴォを抱き寄よせ、母は少年に声をかけてみせる。青年は驚いた様子で眼を見開き、ヴィーヴォへと近づいてきた。
「これが……。母さんにはそっくりだけど……」 
 彼はヴィーヴォの顔を覗き込む。
 難しげに眉根をよせる彼の表情が恐くて、ヴィーヴォはサンコタの胸に顔を埋めていた。
「ポーテンコ……」
「あ、すみません」
 しゅんと首を垂らし、青年は眼を伏せる。そっとヴィーヴォが顔をあげると、彼は困ったような眼差しをヴィーヴォに送っていた。
「でも、弟がいるって言われても……」
「この子はね、あなたが聖都に奪われたとき、この人が授けてくれた子なの。私のためにね……。それにあの人には、教皇さまにはもう手紙で伝えてあるはずよ」
 そっと母は竜の閉じ込められた水晶をなで、青年に微笑みかける。彼はため息をつきながら、ヴィーヴォに向かって口を開いた。
「こんにちはヴィーヴォ。僕はポーテンコ、君の兄さんだ。たぶん……」
「兄さん……?」
 こくりと首を傾げ、ヴィーヴォは彼を見つめる。
 母から兄がいることは聞いていたが、その人は花吐きだと母は言っていた。でも、ポーテンコからは花吐きからするという花の香りがしない。彼はサンコタのように星も眼に宿していない。
「お兄さんはね、花吐きとしての役目を終えたの。だから、あなたが花吐きの夜色となって黒の一族を支えていくのよ、ヴィーヴォ……」
 母の言葉に、青年の顔が曇る。彼は悲しそうに眼を伏せ、小さく俯いてしまった。
「兄さん……?」
 心配になって呼んでみても、青年は答えてはくれない。そっとヴィーヴォを放し、母は彼へと歩み寄っていた。
「ポーテンコ。あなたは愛する人を守った。それでいいのよ。それで……」
 そっと青年を抱き寄せ、サンコタは彼の背中を優しく叩く。彼は辛そうに眼を潤ませ、母の胸元に顔を埋めた。
「あの人は僕を食べてはくれなかった……。僕は、あの人の一部になりたかったのに……。だから、力をあげて空に帰したんだ……」
「父さんもそうだった……。だから、この人は水晶の中に閉じこもったまま出てきてくれないの……」
「母さん……」
「ヴィーヴォをお願い。あなたは、黒の一族の長なのだから」
 そっと顔をあげ、ポーテンコはサンコタを見上げる。サンコタはそんなポーテンコの髪をなで、優しく微笑んでみせた。
「母さん?」
 二人が何を話しているのか分からず、ヴィーヴォは母に声をかけていた。サンコタは困ったように微笑んでヴィーヴォを見つめる。ポーテンコを放し、彼女はヴィーヴォへと歩み寄ってきた。
 そっとヴィーヴォを抱きしめ、サンコタは耳元で囁く。
「ヴィーヴォ、お別れよ。今日からあなたはお兄さんと一緒に、聖都で暮らすの。黒の一族の花吐き、二つ名の夜色として」
 彼女の言葉に、ヴィーヴォは大きく眼を見開いていた。彼女を見あげる。サンコタは悲しげに眼を潤ませヴィーヴォを見つめるばかりだ。
「だから、母さんとはここでお別れ。母さんはお父さんを独りにはできないから……」
 そっと後方にある水晶を見つめ、サンコタは眼を伏せる。その眼が、涙で煌めいていることにヴィーヴォは気がついていた。

 

 


 不思議と涙は出なかった。
 兄だという人に手を引かれ、花畑にやってきたとき、ヴィーヴォは感嘆と声をあげてしまった。
 巨大な竜骸は星空の瞬く夜闇に浮いている。
 巨大な竜の骨が植物の蔦や枝にに覆われ空を飛ぶ姿は、この世のものとは思えなかった。
 あれに乗れると思うと、それだけで心が踊る。
 笑う声が聞こえて兄を仰ぐ。彼が優しい微笑みを浮かべているのを見た瞬間、ヴィーヴォは彼に満面の笑顔を送っていた。
 恐いと思っていた兄は優しい人かもしれない。ポーテンコはヴィ-ヴォの頭をなで、ヴィーヴォと視線を合わせる。
「ごめんな、ヴィーヴォ。でも、これが教会の掟なんだ……」
 兄の笑みが悲しみを帯びた瞬間、突風を伴い竜骸は花畑に着地する。だが、ヴィーヴォはなぜ兄がそんな顔をするのか分からなかった。
 自分の頬をほろほろと涙が伝う訳わけも。
 兄に手を引かれ、ヴィーヴォは竜骸に乗り込む。
 操縦室から見る灯花の丘は蒼く光り輝き、ヴィーヴォの出立を祝ってくれる。その輝く丘に立つ母を見つけた瞬間、ヴィーヴォは大きな声をあげ泣き崩れていた。
「ヴィーヴォ……」
 ポーテンコがそんな自分を抱きしめてくれる。彼の胸に顔を埋め、ヴィーヴォは大声をあげて泣いた。
 そんなヴィーヴォのために、ポーテンコは子守歌を口ずさんでくれた。
 母がいつも歌っていた子守歌を――
 ヴィーヴォが泣き疲れて寝てしまうまで、その子守歌がやむことはなかった。
 

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