Two Cats 猫妖精の森

 円卓公園から常若町に続く坂道の途上に、ソウタの家である喫茶店『猫妖精の森』はある。
 猫妖精の森は義兄ユウタの実家だ。二月の終わりに、ユウタに連れられて猫妖精の森に越してきてから、半月近くが経とうとしていた。
 漆喰でできた白い建物の間に、猫妖精の森は建っている。我が家が近づくにつれ、ソウタはハルのことを思い出していた。
 猫妖精の森の屋根が、白いネコミミに見えたからだ。猫妖精の森の切妻屋根の両端には、天窓を覆う小さな屋根がにょっきりと生えている。その屋根が、遠目から見ると猫耳のように見えるのだ。
 朝陽を受け、天窓の屋根は桜色に染まっている。ハルのネコミミも光を受けると桜色に輝くのだ。
 眩しかったハルの笑顔を思い出す。
 二人組に会おうという提案を、ハルは微笑みながら快諾してくれた。
 ハルの嬉しそうな姿を思いだし、ソウタは笑っていた。ソウタは走りながら坂道をのぼっていく。
 猫妖精の森の前にやってきたソウタは、玄関を見上げた。黒猫の形をした看板が風にゆられキィキィと音をたてている。
 今度は、義姉であるミミコのネコミミを思い出す。ミミコのネコミミは、看板の猫のように艶々とした黒色をしているのだ。
 ハルの話をすると、ミミコはいつも楽しげにネコミミを傾けてくれる。驚いたときにはネコミミを反らしながら。嬉しいときにはネコミミをぴょんぴょん動かしながら、彼女はソウタの話を聴いてくれるのだ。
 話をするたびに様々な表情を見せてくれる義姉のネコミミが、ソウタは大好きだ。今日はどんな話をミミコにしようか。笑い声をあげながら、ソウタは玄関へと眼を向ける。
 瞬間、ソウタの顔から笑みが消えた。
 玄関の左側には、ポストがわりに使われているネズミ捕りがある。そのネズミ捕りが、真っ赤なペンキで汚れていたのだ。
 ポストにペンキをかける嫌がらせを、自分たちが越してきてからしている奴がいる。ケットシーである自分とミミコを、よく思わない奴の仕業だろう。
 真っ赤になったネズミ捕りを見て、嫌な想像をしてしまう。
 会おうとしている二人組が、もし自分とハルを受け入れなかったらどうしよう。彼らが、眼の前のネズミ捕りのようにハルに嫌がらせをしたら――
 そんなことはないと、ソウタはネコミミを振り気持ちを切り替える。
 赤く染まったネズミ捕りをソウタは見据え、駆け寄る。ネズミ捕りの中には、一通の手紙が投函されていた。ソウタはネズミ捕りをあけ、手紙へと手を伸ばした。
 手紙にふれると指先に粘ついた感触が広がる。その感触に嫌悪感を覚えながらも、ソウタは手紙を取り出した。封筒が分厚いこともあり手紙の中身は無事なようだ。
 ほっとソウタはネコミミをたらし、手紙の宛先を見た。
 表の宛名はペンキで汚れて分からない。裏は汚れもなく差出人がすぐにわかった。
 差出人はユウタだ。仕事で家を空けることが多い彼は、頻繁に手紙を送ってきてくれる。
 汚れた手紙を見つめたまま、ソウタは思い悩んだ。どうやってミミコに手紙のことを説明しよう。
 彼女は夫からの手紙を、とても楽しみにしている。こんな汚れた手紙を見たら、ミミコはさぞかし気落ちするだろう。
 困ったようにソウタは玄関を見つめる。
 猫の形をした玄関窓からは、ゆらゆらと揺れる黒いネコミミが見えた。店の左側にあるカウンターに、黒いネコミミを生やした女性が座っているのだ。
 義姉のミミコだ。
 玄関窓から視線を放し、ソウタは俯いてしまう。
 また、玄関窓を見つめる。カウンターに座るミミコのネコミミが力なくたれさがっていた。
 具合が悪いのだろうか。心配になって、ソウタはドアノブに手をかけていた。玄関ドアを開けると、猫の形をしたドアベルが軽やかな音をたてる。
「あ、お帰り、ソウタ」
 弾んだミミコの声がネコミミに響く。
 目尻のさがった深緑の眼をソウタに向け、ミミコは微笑んでいた。その笑顔を見て、ソウタはほっと胸を撫でおろす。 
 よかったミミコは大丈夫そうだ――
 ミミコが黒ネコミミを動かしソウタに微笑む。彼女の左ネコミミについた鈴が玲瓏な音を奏でた。黒いネコミミを包む長い黒髪が、深緑に煌めいている。
 その黒髪にソウタは見惚れてしまう。自分たちの先祖である二ホン人たちはミミコのように美しい黒髪をもっていたという。キャットイヤーウイルスにより色素遺伝子が変異してしまうネコミミたちは、その黒髪を引き継ぐことができない。
「どうしたの、ソウタ?」
 ミミコに呼ばれソウタは我に返る。ミミコは黒髪をかきあげ後方へと流してみせた。その一挙一動の仕草からソウタは眼が離せない。
 ふと、ソウタはミミコがティーカップを片手に持っていることに気がついた。カップからは、桜の香りが漂ってくる。その香りに気がついたソウタは、彼女に詰め寄っていた。
「義姉さん、俺の紅茶勝手に飲んだでしょっ」
「ありゃ、ばれた?」
「まったく」
 ソウタは眼を眇め、カウンターに置かれた紅茶缶を見つめた。
 缶は桃色をしており、その中央には白い猫のシルエットが描かれている。ハルに飲ませてあげようと取り寄せた、桜のフレーバーティーだ。
「うーん、美味しいと思ったんだけど香りがきつくて、駄目。朝ごはんもあんまり食べられなかったし、今日はなんかなぁ……」
 カップをソーサーに置き、ミミコは困ったように笑ってみせた。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと横になったら、楽になった」
 不安げにソウタがネコミミを伏せる。慰めるようにミミコはそんなソウタの頭を撫でてくれた。
 苦笑する彼女を見て、手紙が渡しづらくなってしまう。
 ケットシーであるミミコの健康状態はここ数年、思わしくない。彼女が最新の治療を受けられるよう、ユウタはマブの主要施設が集まった常若島に自分たちを連れてきたのだ。
「ソウタ、何か悩んでるでしょ?」
「別に、なんにもないよ」
 眼を細め、ミミコがソウタの顔を覗き込んできた。ソウタは彼女から顔を逸らす。
「嘘、薬飲んでない」
「何で、飲まなきゃいけないの……?」
「ソウタ」
 ミミコが眼を鋭く細め、ソウタを見すえた。彼女と視線をあわせることができない。ソウタは顔を逸らしたまま、ネコミミを弱々しく伏せた。
 ウイルスを抑制する薬を飲まなければ、自分の命が危ない。ミミコが怒るのはもっともだし、自分を思っての行為であることも分かっている。
 それでも、ソウタは彼女の言葉にネコミミを傾けることができなかった。
 不意に泣きそうになって眼が潤む。その眼をミミコに向けると、彼女は驚いたようにネコミミを反らした。
 ソウタは何も言わず、ユウタからの手紙をミミコに差し出す。手紙を見た彼女は眼を曇らせ、ソウタに視線を戻した。
「これが、理由?」
「俺たちって、そんなに気持ち悪い……?」
 ソウタの問いにミミコは眼を見開き、ソウタの肩を抱き寄せた。
「そんなの気にしないの、ソウタっ。ハルちゃんの件だって町長に話したけど、あいつ何でそんなことするんだって、怒ってくれたよ。誰も、あなたたちを傷つけないからっ!」
 ハルの家に脅迫状が届いていた。
 穢れたケットシーが鎮魂の場を汚すなと手紙には書かれていたという。もし出れば酷い目に合うと、脅迫状は締めくくられていたそうだ。
 怯えるハルにそのことを打ち明けられ、ソウタはミミコに脅迫状のことを相談したのだ。ミミコはこの件について、顔なじみである常若町の町長と話し合ってくれたらしい。
 町長にはソウタも会ったことがある。
 ミミコの幼馴染だという彼は、芯のしっかりした男性だ。ケットシーだからといってソウタたちを差別する人ではない。
 でも、心にわだかまる鬱屈とした気持ちは消えない。
 どうして自分たちはケットシーであるだけで、これほど嫌われるのだろうか。
「でも、ハルは差別された……。どうして、脅迫状なんてハルは受け取らなきゃならないの? ハルがケットシーだから? 俺たちがウイルスで死ぬ存在だから……?」
「ソウタっ」
 ミミコがソウタを抱きしめてくる。ソウタを抱き寄せ、彼女は言葉を続けた。
「ウイルスで死ぬ存在だから、何? 私たちは何もしてないし、ケットシーであることを恥じる必要もない。そんな人間の言葉を聴いたりしちゃダメ」
「でも、信仰が俺たちを否定する……」
 ソウタの言葉に、ミミコは深緑の眼を潤ませる。
 ケットシーは他の感染者と違い、抑制剤を飲まなければ死んでしまう。そして、特殊な能力を持っている。
 それが、ケットシーへの差別に繋がっているのだ。
 かつて統治機構マブはそんなケットシーたちを隔離し、差別する政策を行っていた。
 旧文明時代にウイルス研究のために設立されたマブにとって、ウイルスの克服は悲願であった。彼らにとって、ウイルスで死ぬケットシーは自分たちを否定する驚異そのものに映ったのだ。彼らはケットシーたちを隔離し、統治機構内での差別を信仰により徹底した。
 ケットシーは救世主たる灰猫の恩寵を受けることができない、汚れた存在である。そう、箱庭の住民たちに吹き込んだのだ。
 時代の流れとともにマブの支配体制も変わり、今では教義による差別は否定されている。
 だが、マブの政策に反発したケットシーたちによる反抗運動や犯罪も過去には横行した。そんな負の過去によって、ケットシーへの差別は依然として残っている。
 自身が持っている能力によって社会貢献をしているケットシーを、その社会から締め出そうとする人々もいるのだ。
 彼らは言う。ケットシーの能力はウイルスがもたらしたものであり、努力して勝ち得たものではない。何より彼らは、救世主たる灰猫の恩寵を否定する存在であると。
 ソウタも謂れのない差別を受けてきた。それはミミコだって同じだ。だがミミコはいつだって毅然として、差別に立ち向かっている。
「ごめん、義姉さん」
 ソウタはしっかりとミミコを見つめた。重い口を開き、彼女に謝る。そんなソウタに、ミミコは微笑みかけてくれた。
「いいのよ。わかってくれれば……。私はソウタが側にいてくれるから、こうしていられる。だから、ハルちゃんの側にもいてあげなさい」
 ソウタの両頬を、彼女の柔らかな手が包み込んでくれる。ミミコの掌の感触が気持ちよくて、ソウタはネコミミをたらしていた。
 ミミコが優しい眼差しを自分に送ってくれる。彼女の眼を見つめていると、ソウタはいつも安らかな気持ちになれるのだ。
 心のわだかまりを見通して、ミミコは言葉を紡ぐ。
 彼女はわずかな仕草や表情から、人の感情を読み解くケットシーだ。簡単な嘘ぐらいなら、すぐ見破ってしまう。
「やっぱ義姉さん、すごいな。みんなが魔女って呼ぶのが良くわかる……」
「私は魔女じゃくて、使い魔のつもりなんだけどね」
 ソウタの言葉にミミコは苦笑してみせる。
「それより、ソウタ。まだ、悩みあるでしょ」
「別に、大丈夫だよ」
「嘘ついてる。ネコミミに書いてあるよ」
「えっと、その……」
「ほら、言う」
「義姉さん、学園って楽しかった?」
 ソウタの言葉に、ミミコは驚いたように眼を見開く。彼女は優しく眼を細め、ソウタのネコミミを撫でてくれた。
「私は側にいてくれる人がいて嬉しかったけどな。肝心なのは、あなたがどうしたかじゃないの?」
「うん」
 こつんと、ミミコが額を押し当ててくる。不思議だ。ミミコの言葉を聴くと、体の力が抜けて安心できる。悩んでいるのが馬鹿らしいぐらい、心が軽くなるのだ。
「側にいてくれた人って、義兄さん?」
「あれ、よく分かったじゃない?」
「義兄さんが、泣き虫だった義姉さんをよく慰めてたって言ってたから。義姉さん、学園に行きたくないって、よく義兄さんを困らせてたんだって?」
「あのクソ旦那。また、ソウタに変なこと吹き込んで。帰ってきたら、ただじゃおかないんだから……」
 眼をいからせ、ミミコは吐き捨てる。ソウタは先ほどの発言を心の底から後悔した。自分の失言が原因で、帰ってきたユウタの命が危ないかもしれない。
 けれど、嬉しげに眼を細めるミミコを見てソウタは薄く微笑んでいた。
 ユウタのことを考えるだけで、ミミコは幸せなのだ。そんな彼女が少しだけ羨ましい。
 不意に思ってしまう。
 ハルが、自分にとってそんな存在になってくれればいいと。
「いいな……」
「何か、言った?」
「ううん、何でもない」
 ネコミミを上下に動かし、ソウタは首を振った。ミミコが不思議そうにネコミミを揺らす。ソウタはそんな彼女から離れ、カウンターに乗った紅茶缶を手に取った。紅茶缶を両手で抱え、カウンターの中へと移動する。
 不意に眠たくなって、ソウタはあくびをしていた。
「ちょっと、寝てくる……」
「ソウタ、寝るのが大好きだもんね。それなのに、ハルちゃんのために早起きなんてしちゃってさ。熱い、熱い」
 ソウタはミミコに振り向き、彼女を睨みつけていた。
「うるさいなっ。ハルとは、そんなんじゃないっ」
「はいはい、分かってますよ。ごめんね」
 にんまりと眼を歪め、ミミコは笑ってみせる。彼女はソウタのネコミミをなだめるようになでてきた。
「それより、ソウタ。寝る前にやることがあるんじゃないの?」
「えっ?」
「薬、ちゃんと飲みなさい」
 びしっとミミコがソウタの背後にある棚を指差した。ソウタは眼を曇らせ背後の棚へと視線をやる。
 天井までとどく造り付けの棚には、色とりどりの紅茶缶やカップが並んでいる。その棚のすみに小さな牛乳瓶が置いてあった。牛乳瓶の中には、林檎の形をした透明な錠剤が入っている。ソウタのために造られた、ウイルスの抑制剤だ。
「飲まなきゃ、ダメ」
「死にたくないでしょ?」
 ネコミミをびしっと立ち上げ、ミミコはソウタを睨みつける。
 ソウタは渋々と棚に近づき、牛乳瓶を手にとる。蓋を開けて牛乳瓶を傾けると、ビー玉ほどの大きさの錠剤が掌に落ちた。赤い錠剤は艶々とした輝きを放っている。
 ごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めたソウタは錠剤を口に放り込んだ。
 錠剤が舌の上で転がり、強烈な苦味が口に広がる。ソウタは口を押さえ、苦味に耐えた。あまりの辛さに、涙が出てきてしまう。
 ソウタはカウンターへと駆け寄り、卓上に置かれたティーカップを手にとった。そのまま頭を反らし、一気にフレーバーティーを飲み干す。
 フレーバーティーの甘味と錠剤の苦味が口の中で混じり合う。ソウタはカップをカウンターに叩きつけるように置き、両手で口を抑えた。
 吐き出したい衝動に駆られながらも、ソウタは錠剤を嚥下する。口を開くと、フレーバーティーの香りが鼻孔に充満し嘔吐感が込み上げてきた。
「もう、コレやだ……」
 涙を流しながらソウタはミミコを見つめる。ミミコはネコミミをプルプルと震わせながら、お腹を抱えていた。
「義姉さんのバカ!」
「ごめん、だって、おかしくて……」
「うぅ、義姉さんのバカ……」
「あ、ごめんごめん。もう、泣かないの……」
 ぼろぼろとソウタの眼から涙が零れる。ミミコは慌てた様子で、そんなソウタのネコミミをなでてきた。
「分かってくれれば、いい……」
 そっとミミコの手をなで、ソウタは涙声をはっする。そんなソウタに苦笑を送り、ミミコは言葉を返していた。
「もう、笑わないから、休んできなさい」
「うん……」
 眼を擦り、ソウタは赤くなった眼で義姉を見つめる。ミミコは優しく眼を細めて、ソウタの頬をなでてくれた。
「お休みなさい、ソウタ」
「お休み、義姉さん……」
 ミミコに笑顔を送り、ソウタは踵を返す。
 ソウタは部屋のすみにある階段箪笥へと駆ける。階段箪笥を跳び越え、ソウタは二階へと上がっていった
 

 

ケモノの物書き堂はナマケモノの一次創作ブログです。創作関連の最新情報はこちらまで。

 

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