​ 黄昏色の蓮

 ただ、静かにその人は眠っていたのだ。真白な菊の花に包まれて、安らかに目を閉じて。
 もう、この世にいない人とは思えないほどに、その人の最後は安らかな顔をしていた。


 どうでもいい人が死んだ。
 死んでもらっていい人だった。家族に迷惑をかけにかけて、私にトラウマを残して、その人はあっけなく逝ってしまった。
 喪服姿のまま、私は部屋のソファにどっかりと座る。はぁ、とため息をついて顔を両手で覆った。
 身内が死んだというのに、涙さえ出てこない。本当に自分は薄情な人間だ。
 職場でいつものようにパソコンと睨めっこしていたら、とつぜん実家の母から連絡があった。
 長いあいだ闘病生活をしていた祖母が死んだという。
 ――あぁ、やっとお迎えが来たか。
 祖母の死を知らされたとき、私は漠然とそう思った。それ以外の感情が浮かんでこなかった。
 それなのに、連絡をもらったあと仕事に身が入らなかったのはどうしてだろか。どうも、私は祖母の死にショックを受けていたらしい。自分に人間らしい感情が少しでもあると分かって、妙にホッとした。



 白無垢を着て、柩に横たわる祖母は生前とはまるで違った。
 一緒に住んでいた学生時代、祖母は何かと面倒を見ている母をなじり、私の弟をロクデナシとストレス解消に罵るクソババアだった。
 糖尿病だというのに隠し持ったお菓子を食べては、自分は死なないと私に豪語する。そう語る祖母の体は気持ちが悪いほどに太っていて、眼はいやらしいほど爛々としていた。
 それがすっかり痩せて、安らかな笑みを顔に浮かべているではないか。
 何だか、別人のようだ。
 苦しまずに、あの世にいけたようで何よりだ。
 ふっと目頭が熱くなって、私は祖母の柩から逃げるように離れていた。
 ――ケイちゃん。ケイちゃん。
 祖母の声を思い出して、私は柩へと振り返る。白い菊に囲まれた祖母は、静かに微笑んでくれるだけだ。
 祖母に呼ばれた気がした。それなのに、肝心な本人は眼すら開けない。
 もう、眼を開けることすらできない。
 あぁ、なんでこの人はもうこの世にいないかな。
 漠然とそう思いながら、私は葬儀がおこなわれる中、延々と流れる般若心経に耳を傾けていた。



 回想から引き戻される。
 だるい体を何とか起こして、私は目の前にあるテーブルへと視線をやった。
 折り紙の束が目に飛び込んでくる。
 なんて事はない。帰りになんとなく100均によって、買ったものだ。
 振袖柄が美しい、金箔の施された豪華な折り紙。
 祖母がよく折り紙を折ってくれたことを何気なく思い出して、私はその折り紙セットを買っていた。
 1枚手に取ってみる。
 黒地に豪奢な蓮の花が描かれた折り紙だ。鶴でも折ってみようと思ったが、作り方を思い出すことができない。
 何回も、おばあちゃんに教えてもらったのに。
 そう、キツネに、紙コップに、紙ふうせんに。
 色んな折り方を教えてもらったはずなのに、私は何ひとつとしてその折り方を思い出すことができない。
 何だか無性に悲しくなって、私は折り紙を見つめていた。
 折り紙に描かれた、鮮やかな蓮が目に飛び込んでくる。
 蓮の花。
 そう、蓮の花の折り方も私は教えてもらった。
 そして――
「出来る……」
 呟いて、私は折り紙を折っていく。
 折り紙の四方の端をそれぞれ中心めがけて三角に折って、それを表面で2回続ける。出来たら、折り紙を裏返して、また端を中心めがけて三角に折っていく。
 それから、この作業が1番難しい。折り紙の端を捲り上げ、裏の三角に折った部分を表に持ってくる。その手順を、4回繰り返す。すると、美しい4枚の花びらが出来上がる。
 最後に裏面に残っている三角に折った部分を広げれば、葉っぱの出来上がり。
 四角い折り紙が、見事綺麗な蓮に化けるのだ。
 私は夢中になって折り紙の蓮を折っていた。
 ――表で2回。裏で1回。そう覚えれば、忘れないよ。
 折り方の手順がわからず困っていた私に、おばあちゃんはそうアドバイスしてくれた。
 花びらを捲り上げる作業は難しい。慎重にやらないと、折り紙が破れてしまうからだ。美しい花びらが無事に出来上がるたび、私はほっとため息を吐く。
 そういえば、私が花びらを作り上げるたびにおばあちゃんも笑顔を浮かべてくれたっけ。
 ――すごいね。ケイちゃんは、すごいね!
 そう、何度も褒めてくれて、私の頭を撫でてくれて。
 つぅっと、私の頬を涙が伝う。
 視界が滲んで、ぽろぽろと大粒の涙が溢れてくる。私は涙を拭って、蓮を再び折始めた。
 内職をしながら、孫である私たちのためにお小遣いを稼いてくれていたおばあちゃん。
 母が仕事でいないときに、しょっぱいお味噌汁を作ってくれたおばあちゃん。
 ――いい子だね、ケイちゃんはいい子だね。
 私が泣くたびに、おばあちゃんはそういって私の頭を撫でてくれた。私を優しく抱きしめてくれた。
 おばあちゃんの体はあったかくて、すごく安心できる香りがして。
 涙が、流れる。
 洪水みたいに、おばあちゃんの笑顔が、おばあちゃんとの思い出が、私の中に流れ込んでくるのだ。
 あぁ、なんで忘れてたかな。
 嫌な人だった。
 家族の悪口ばっかりって、病気のくせに健康なんかちっとも気を使わないで。
 でも、優しい人だった。
 いつも私を優しく抱きしめて、見守ってくれた人でもあった。
 ぼろぼろ。ぼろぼろ。
 涙が零れる。
 私は、歪んだ視界に折り紙を映しながら、蓮の花を折り続けた。


 真白な菊が生い茂っていた柩に、色とりどりの蓮が咲き乱れていた。親類の人たちが、静かに私が折った蓮の花をおばあちゃんの柩に入れてくれる。
 もうすぐ、お婆ちゃんの体は火葬される。その前に、どうしてもこの花を、おばあちゃんに贈りたかった。
 ――ありがとう。ケイちゃん。
 耳元で声がして、驚いた私は棺の中のおばあちゃんを見つめる。
 色とりどりの蓮に囲まれ、おばあちゃんは優しい微笑みを、顔に浮かべていた。

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