​名無し少女と、百目女

狐の夜市場

 こんこん。

 

 気配の声を頼りに、ナナシは歩いていく。冷たい草の感触がだんだんと足元を覆うようになり、その感触が、膝まで広がっていく。

 ナナシの足に当たる草の丈が長くなっているのだ。

 

 ほぉう。ほぉう。

 

 頭上からは梟の声がして、夜が来たことを教えてくれる。それでもナナシは枝を振り回し、ずんずんと歩き続けた。

 

 こんこん……。

 

 遠くから、小さな鳴き声が聞こえる。草の感触が、だんだんと足元から引いていく。

 その感触が完全になくなった瞬間、ナナシの耳に賑やかな祭囃子の音が聞こえてきた。

 

 こんこん。こんこん。

 こんこん。こんこん。

 

 たくさんの鳴き声と一緒に、がやがやと人の行き交う音がする。

「油揚げだよ! こんこん。カリカリに焼いた油揚げだよ! こんこん。にんげんたちが伏見様に献上した、霊言あらたかな油揚げだよ」

「こんこん。美味しいポン菓子はいかかがなぁ。伏見様がお育てになった新米から作ったポン菓子だよぉ! こんこん!!」

 甲高い客引きの声が、あちらこちらでする。それと一緒に、何とも言えない美味しそうな香りがナナシの鼻腔を満たしていた。

 

 ぐるぐるぐる……。

 

 

 腹が鳴る。その瞬間だ、柔らかな感触がナナシの足元を覆った。もふもふとしたその気配たちは、ナナシの足元をぐるぐると巡っている。

「こんこんこん。お嬢さん、そこの目瞑ってる女の子! 油揚げは如何だい!?」

「こんこんこん。なんの、なんの。やっぱりお腹の虫にはポン菓子でしょ!!」

「おいおい、この嬢ちゃん。にんげんくさいぞ。こんこん!」

「でも、客だ客だ! さぁさぁお嬢ちゃん! 拝んでおくれ。拝んでおくれ。伏見様を拝んでおくれ!! こんこん」

 ふさふさとした感触にナナシはうっとりと、口元を綻ばせていた。そっとしゃがみこむと、さっと足元から気配が逃げる。

 試しに手を差し出してみると、湿った鼻がナナシの指先に押しつけられた。

「うぅん。こんこん。参ったなぁ。こんこん。本当ににんげんだよ。こんこん……」

「我らの神域になぜかしら触れてしまったんだなぁ。こんこん。困った、さてはて困った。こんこん」

 気配たちはナナシの匂いを嗅いでくる。困惑する気配の声が、ナナシは少しばかり気にかかった。

 こくりと首を傾げると、気配の一つがそれに応えてくれた。

「すまんだなぁ。お嬢さん。こんこん。君は私たちの領域に迷い込んでしまったらしい。こんこん。神隠しにあってしまったんだ。こんこん」

「すまんねぇ。お嬢さん。こんこん。あなたは、にんげんの領域に帰れんかもしれん」

「それは、伏見さま次第だが。一目連さまが、お嬢さんを気に入ったら……」

 しゅんと気配が押し黙る。ナナシは急に不安になって、気配の一つに触れていた。

「お、どうした。こんこん」

 気配の背中を撫でると、柔らかな毛の感触が伝わってくる。ナナシは思わず気配を抱き寄せていた。

「ちょ、こんこん! お嬢さん、やめたまえ! こんこん。形は小さいが、私は君より百歳は年上だぞ! 目上の者を抱き寄せるとは何事だ!!」

 気配が叫ぶ。それでも、頬を流れる涙を止めたくて、ナナシは気配を抱き寄せていた。

「こんこん。お嬢さん。泣いてはいるが、あんた……」

 冷たい肉球の感触が、瞼を覆う。肉球は、軽く瞼を押してきた。瞼が、すっと空っぽの眼窩に入り込む。

「盲か……。それも、目がない。こんこん……。これは気の毒に……」

「なんと、なんと」

「神隠しにあった上に、そんな不憫な身の上とは……。不具者だからこそ、神域に迷い込んでしまったか……。体の欠損は、巫女の印だからなぁ……」

 気配たちは、気遣うようにナナシに擦り寄ってくる。ナナシは寄ってきた気配にそっと触れた。

 くぅーん。こぉーん。

 ナナシを慰めるように、気配たちは優しい鳴き声を発する。

「なんだぁ! 狐ども! 屋台さぼって、女引っ掛けてるとは何事だぁ!?」

 そのときだ。女性の怒鳴り声が、ナナシたちにかけられた。

「百目女!!」

「百目だぁ!!」

「百目女だぁ!!!」

 気配たちがいっせいに悲鳴をあげる。

「あぁん。せっかく上客の一目連さまが来るっつから来てやったのに、その態度はなんだぁ。うぅん?」

 荒っぽい女性の声に、ナナシはびくりと体を震わせていた。

「これ、百目女! お嬢さんがビックリしているではないか!!」

「恐がらせるな! こんこん」

「こんこん。そうだ。この百目」

 気配たちがいっせいに声をあげる。

「あぁあん。ちっせぇなりして、この百目様とやり合おうっていうのかぁ!! おぉおいぃいぞ! かかってこぉい!!」

 女性が声を荒げる。

 今度はきゅんきゅんと鳴きながら、気配たちがナナシにすがりついてくる。ナナシは気配たちをかばうように、彼らを背後へと匿った。

 近づいてくる足音に耳を澄ませ、ナナシは顔をあげる。

「お前ぇ、盲かぁ?」

 ひたっと乱暴な足音がとまる。顎を持ち上げられ、ナナシは顔を覗き込まれていることに気がついた。

 冷たい感触が瞼に触れる。それが細長い指だと分かり、ナナシは身を固くした。

「ひゅう! 綺麗な眼窩を持ってるじゃないかぁ!! おうっ。中が空ときぃてる」

 口笛がナナシの耳に届いた。指はナナシの瞼を何度も押してくる。その先に広がる空洞の感触を楽しんでいるかのようだ。

 ――たくさん目を持っている、百目女。

 こんこんと鳴いていた気配たちの会話を思い出して、ナナシは唾を飲み込んでいた。自分の瞼を弄んでいる指の持ち主は、きっと百目女に違いないのだ。

 ――この人は、自分に目を売ってくれるだろうか?

 でも、自分は売れる物を何も持っていない。

「どぉれ、目でも一つ入れてみようかぁ!」

 逡巡するナナシの耳朶に、明るい百目の声が飛び込んでくる。ひんやりとした指の感触が瞼から無くなる。次の瞬間、ナナシの瞼に冷たい何かが押し付けられた。

「ぎゃぁ!」

「うるせぇぞ! ガキ! 黙って我慢してろぉ!!」

 ぐいっと瞼を眼窩に押し込まれ、ナナシは悲鳴をあげてしまう。そんなナナシを叱りつけ、百目女は冷たい異物を眼窩に押し込んでくる。

 ごろごろごろごろ。

 頭蓋に異物が放つ音が轟く。

 痛い。

 頭が割れるように痛い。瞼が焼けるようにひりひり痛む。

「あれっ?」

 ぼんやりと、真っ暗だった視界が違った色を帯びてくる。

 それが光だと分かった瞬間、ナナシは自分に眼がついていることに気がついた。



 

        

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